古びた喫茶店の窓辺、木のテーブルに置かれた一杯のグラス

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曲との出会い

この曲を最初に耳にしたのは、日本でのビジネスの合間に韓国を訪れていた頃だったと記憶しています。取引先の年配の方が、食事の後のカラオケで、少し照れくさそうにこの曲を歌ってくれました。歌詞の意味はそのときほとんど分からなかったのですが、雨に濡れたガラス窓のような、湿り気を帯びたメロディーだけが心に残りました。

後になって知ったのですが、この曲は韓国では「낭만가객(浪漫の歌人)」と呼ばれるチェ・ベクホさんの代表曲で、中年から高齢の世代にとって、宴席の締めくくりに欠かせない一曲なのだそうです。日本でいえば、忘年会の最後に誰かがしみじみと歌う一曲、といった位置づけに近いのかもしれません。

20代の頃には持てなかった発想

20代の私は、ロンドンの日本食レストランの厨房を駆けずり回り、右も左も分からないまま異国での生活を軌道に乗せることに必死な日々を過ごしていました。あの頃の自分にこの曲を聴かせても、おそらく右から左へ聞き流していたと思います。失恋の痛みも、青春への未練も、まだ生々しすぎて、「歌にして懐かしむ」という距離の取り方そのものが分からなかったからです。

20代というのは、まだ何も終わっていない年代です。初恋も、夢も、友情も、「今まさに渦中にあるもの」であって、振り返って語る対象ではありませんでした。この曲の主人公のように、雨の日の喫茶店で色あせた記憶を静かに慈しむ、という感覚は、当時の私にはまだ早すぎたのだと思います。

生命をめぐる小さな問い ― 愛別離苦

仏教には「四苦八苦」という言葉があり、そのひとつに「愛別離苦(あいべつりく)」――愛するものといつか必ず別れなければならない苦しみ――があります。この曲の主人公が胸に抱えている「もう戻らないもの」への想いは、まさにこの愛別離苦そのものだと感じます。

興味深いのは、チェ・ベクホさん自身の人生にも、この愛別離苦が色濃く刻まれていることです。彼は生後1年にもならないうちに父を交通事故で亡くし、21歳のときには母もがんで見送っています。喪失は、彼にとって観念ではなく、人生の出発点にあったものでした。だからこそ、「もう会えない誰か」「もう戻らない季節」を歌う彼の声には、単なる感傷を超えた実感がこもっているのかもしれません。

愛別離苦は、避けようとして避けられるものではありません。生きて、誰かを愛し、何かに夢中になった時間があるからこそ、その分だけ「失うもの」も増えていく。けれど、この曲が教えてくれるのは、その空白そのものを恨むのではなく、雨の日にそっとグラスを傾けながら、懐かしむ対象として静かに胸に納めていく、という生き方です。

66歳の今、聴こえてくるもの

この歳になって、英国と日本を行き来する暮らしの中で、この曲はまったく違う響き方をします。2015年に不動産や株式投資を始めた頃、勢いだけで飛び込んで手痛い失敗をしたこともありますが、その痛みも今となっては「たしかにあの時期を生きた」証のひとつだと思えます。医師になる道からは離れ、日本食ビジネスや鍼灸漢方など、いくつもの人生を渡り歩いてきた自分にとって、「もう戻らないもの」はひとつやふたつではありません。20代で交わした約束、若い頃に信じていた自分の未来像、久しく連絡を取っていない旧友――そのどれもが、この歌の主人公の「胸にぽっかり空いた場所」と、静かに重なります。

けれど不思議なことに、その空白は、今の私にとって決して寂しいだけのものではありません。英国の庭でデイヴィッド・オースチンのバラの手入れをしながら、ふと日本の喫茶店の匂いを思い出すことがあります。膝の上でうたた寝しているラグドール猫のメグの寝息を聞きながら、そんな物思いにふけることもあります。そんなとき、失ったものへの未練ではなく、「たしかにあの時代を生きた」という静かな満足感の方が、むしろ強く感じられるのです。歳を重ねるということは、失うものが増えることであると同時に、懐かしむ資産が増えていくことでもあるのだと、この曲を聴くたびに思わされます。

むすびに

「浪漫について」は、失ったものを取り戻せと歌う曲ではありません。取り戻せないと分かっているからこそ、その空白を静かに愛おしむ――そんな成熟した眼差しを教えてくれる一曲です。

この「人生を歌う」というシリーズ自体、若い頃に聴いた歌謡曲をこうして今、振り返りながら書き綴ることで、シニア世代に起こる心や体の変化、人間関係の変化への理解を、自分なりに少しずつ深めていく作業でもあります。そして、その作業を生成AIという新しい相棒と格闘しながら進めていること自体も、この歳になってもまだ新しい壁を乗り越えていけるのだという、小さな喜びを私に与えてくれています。

もし今、あなたの胸にも「もう戻らないもの」への小さな空白があるなら、それを恥じたり急いで埋めようとしたりする必要はないのだと思います。同じように雨の日の喫茶店で、色あせた記憶をそっと抱きしめている人が、世界のどこかにきっといます。そう思うだけで、老いていくことも、悪くないと感じられるのではないでしょうか。人生は、そうやって静かに、生きるに値するものになっていくのだと思います。

チェ・ベクホさんのエッセイ集『잃어버린 것에 대하여(失われたものについて)』は、日本語・英語ともに翻訳版が出版されていません。そこで、同書が持つ「過ぎ去った時代や若さへの愛惜と、それらを抱えて生きる成熟」というトーンに近い2冊をご紹介します。

『日韓ポピュラー音楽史:歌謡曲からK-POPの時代まで』金成玟(著)は、戦後から現代に至る韓国大衆音楽(トロット、フォーク、ロック、K-POP)の変遷を、日本の歌謡曲との相互影響とともに紐解く歴史書です。70〜80年代にチェ・ベクホさんやチョー・ヨンピルさんらが築いた韓国歌謡の背景・社会情勢がクリアに理解できます。

『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出文庫)チョ・セヒ(著)は、1970年代の韓国社会の光と影、急速な都市化の中で失われていく人々の情愛や若さ、切ない哀愁を描いた韓国文学の最高峰です。70〜80年代の韓国大衆歌謡が持っていた時代的な空気感や叙情性と見事に共鳴する一冊です。 (Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)

参考リンク

ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

過ぎ去った季節を懐かしむ心境は、この句集の静かな眼差しとも通じるものがあります。これは私の義父の遺作です。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

こちらも、66歳になって経験した新しい体験を綴った一冊です。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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チェ・ベクホ(崔白虎)について

チェ・ベクホは1950年、韓国・釜山生まれの歌手・シンガーソングライターです。父は29歳で国会議員に当選した5か月後に交通事故で急逝し、チェ・ベクホが1歳になる前のことでした。教師を経て雑貨店を営んでいた母も、彼が21歳のときにすい臓がんで亡くなっています。母を見送った直後に軍へ入隊しましたが、肺結核と診断されて医病除隊となり、故郷・釜山の日光海水浴場付近で療養しながら、独学でギターを2年間学びました。

1976年、1stアルバムの表題曲「내 마음 갈 곳을 잃어(私の心、行き場を失って)」でデビュー。母を亡くした悲しみを綴ったこの曲で注目を集め、その後も「그쟈」「입영전야」「영일만 친구」といったヒット曲を送り出しました。しばらく低迷期が続いた後、45歳だった1994年、16枚目のアルバム収録曲「浪漫について」を発表。当初は反響が薄かったものの、1996年にKBSの人気ドラマの挿入歌として使われたことをきっかけに大ヒットとなり、以後は「낭만가객(浪漫の歌人)」と呼ばれる存在になりました。この曲の題名は、彼が長年パーソナリティを務めるSBSラジオ番組「낭만시대(浪漫時代)」の由来にもなっています。

歌手活動と並行して絵画にも取り組み、2009年には初の個展を開催。2010年代にはIU(アイユ)ら若い世代のミュージシャンとも積極的に共演し、「第二の全盛期」とも評されました。2026年にはデビュー50周年を記念したアルバムを発表し、70代を迎えた今もなお現役の歌手・画家として活動を続けています。