🎧 対談で聴く(二人が語り合う、この記事の感想・解説)

この音声は、本文の内容をもとにGoogle NotebookLM(Gemini)が生成したAI音声解説です。二人のキャスターが感想や解説を交えて語り合う対談形式の音声で、本文をそのまま読み上げるものではありません。

川の流れが、私に教えてくれたこと

英国の庭で夕方の光を眺めていると、ふと「川の流れのように」のメロディが頭に浮かぶことがあります。歌詞を口ずさもうとして、正確には思い出せない自分に気づきます。それでも、あの旋律が持つ「流れに逆らわない」感覚だけは、はっきりと胸に残っています。

なぜこの歌が、今の私にこれほど響くのか。それは、66歳になった今の私が、まさに「流れに身をまかせる」という生き方を、頭でなく体で理解し始めているからだと思います。

夕暮れの川の流れ

夕暮れの川面。流れは止まらず、また同じ形には戻らない。
Photo by [Thomas Nolte](https://unsplash.com/@fotografie_thomas_nolte?utm_source=adventures-after60&utm_medium=referral) on [Unsplash](https://unsplash.com/?utm_source=adventures-after60&utm_medium=referral)

1989年、私が英国に渡った年

美空ひばりが亡くなった1989年は、実は私がロンドンの日本食レストランで働き始めた年でもあります。当時29歳だった私は、日本食ビジネスという、まだ海のものとも山のものともつかない世界に飛び込んだばかりでした。

日本を離れる直前、テレビから流れてきた「川の流れのように」を、荷造りをしながら聞いていたのを覚えています。当時の私には、歌詞の意味を噛みしめる余裕などありませんでした。ただ、新しい生活への不安と期待が入り混じった気持ちのまま、日本を後にしたのです。

なぜならないものねだりをしても仕方がない、というのは、あの頃の私にはまだ分からない道理でした。求めても得られないもの、手放さざるを得ないものが人生にはある。仏教でいう「求不得苦」です。当時の私は日本での安定した道を手放し、まだ何も保証されていない英国での道を選びました。今振り返れば、あれは求不得苦を引き受ける決断だったのだと思います。

司馬遼太郎が見た昭和、私が見た昭和

司馬遼太郎の『街道をゆく』を読み返すと、昭和という時代がいかに矛盾に満ちていたかがよく分かります。豊かさを求めて突き進みながら、同時に何か大切なものを置き去りにしてきたのではないか、という視点です。

美空ひばりの晩年と重なる昭和末期は、まさにバブル経済が頂点に達しようとしていた時期でした。彼女が病と闘いながら歌い続けた姿と、世の中が浮かれ騒いでいた空気との落差を思うと、なぜかその歌声がいっそう切実に響きます。というのも、彼女一人だけが、時代の熱狂とは違う場所で、静かに人生の終わりと向き合っていたからです。

昭和レトロな商店街のアーケード

昭和の面影を残す商店街。時代は移っても、こうした風景の記憶は残り続ける。
Photo by [Vinicius Brasil](https://unsplash.com/@vinib?utm_source=adventures-after60&utm_medium=referral) on [Unsplash](https://unsplash.com/?utm_source=adventures-after60&utm_medium=referral)

光線療法と、抗わない養生

東洋医学に携わってきた立場から言うと、「流れに逆らわない」という考え方は、養生の基本でもあります。私が日々の健康管理に取り入れている光線療法もそうです。特定の症状を無理に叩き伏せるのではなく、体が本来持っている巡りを助け、滞りを流してやる。そういう発想の施術です。

66歳になった今の私の体は、20代の頃とは明らかに違います。無理に若い頃と同じペースを保とうとするのではなく、体の流れに合わせてやり方を変えていく。それは老いを受け入れる敗北ではなく、川が地形に合わせて流れを変えながらも、海に向かうことをやめないのと同じことだと思うのです。

リタイア後の「毎日が日曜日」

リタイアして1年余り。正直に告白すると、私は「毎日が日曜日」の中で、生活のリズムを見失いかけた時期がありました。日本食ビジネスの現場では、常に締め切りと数字に追われていました。その緊張感が急になくなったとき、何をもって一日の区切りとすればよいのか、分からなくなってしまったのです。

そんな時に助けになったのが、庭の菜園です。今年、Raised Bedで育てているアスパラガスは、収穫までに数年かかる、気の長い作物です。土から顔を出す新芽を毎朝確認することが、いつしか私の一日の始まりを告げる、静かな儀式になりました。川の流れに一定のリズムがあるように、私にも私なりのリズムが必要だったのだと、今なら分かります。

光の差す道を一人歩く後ろ姿

光の差す道を一人歩く。逆らわずに、しかし歩みは止めない。
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豊かな老後の3つの観点

心と体を整える生活として――「川の流れのように」を聴くことは、私にとって一種のリマインダーです。抗おうとすればするほど疲れてしまう。流れに身をゆだねながら、それでも前に進み続ける。その姿勢が、老いていく体と心を無理なく整えてくれます。

お金以上のもの――この歌を聴くこと自体に大きな出費はかかりません。しかし、こうして記事を書き、昭和という時代や自分の半生を振り返る時間そのものが、年金生活者にとっては贅沢な時間の使い方です。効率や生産性を求められない時間を持てることが、老後の一番の財産なのかもしれません。

新しい出会い――この記事を書くために司馬遼太郎を読み返し、美空ひばりの評伝を読み、彼女が生きた時代についてあらためて調べました。歌を通じて、これまで漠然としか知らなかった昭和という時代と、新しく出会い直した気がしています。

思索の観点として

老いの再解釈という点で言えば、20代の私は「流れに身をまかせる」ことを、諦めや敗北だと感じていたと思います。しかし66歳になった今は、それこそが最も理にかなった生き方だと感じています。

これは、河川の治水の考え方にも通じる道理だと思います。堤防で川を無理に押さえ込もうとすればするほど、いつか大きな決壊を招きます。逆に、水があふれそうになったら、あえて水を逃がす場所(遊水地)を用意しておき、増えた分をそこに流してやるやり方は、一見弱く見えて、実は最も強い。人生も同じで、老いという流れに逆らって力で押さえ込もうとするより、受け流しながら形を変えていくほうが、結局は長く、遠くまで流れていけるのではないでしょうか。

反応をもらうことを目的とせず、ただそこに記録があること自体が、誰かにとっての小さな灯りになればと思っています。

関連書籍

今回の記事に関連して、美空ひばり本人による自伝をご紹介します。

美空ひばり『ひばり自伝―わたしと影』

(Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)

もう少しこの曲や時代について知りたい方は、歌詞サイトで全文を読むこともできます。

ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

流れに身をまかせるという生き方に通じる、静かなことばの光を纏った一冊です。これは私の義父の遺作です。

Amazonで見る

『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

老いによる体の変化を受け入れ、抗わずに付き合っていく――そんな私自身の記録です。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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美空ひばりという人

美空ひばりは1937年、横浜に生まれました。本名は加藤和枝。戦後の焼け跡が残る中でデビューし、わずか十代で国民的な人気を得ます。というのも、当時の日本には希望に飢えた人々がたくさんいて、彼女の力強い歌声が、その渇きを埋める役割を果たしたからです。

その生涯は、決して平坦ではありませんでした。バス事故での九死に一生、コンサート中に浴びせられた塩酸事件、弟の不祥事による世間からの激しいバッシング。それでも彼女は舞台に立ち続けました。というのも、歌うことそのものが、彼女にとって生きることと同義だったからだと、私は感じています。

1987年、福岡での公演中に倒れ、肝硬変による大腿骨頭壊死と診断されます。長期入院を経て、1988年4月、東京ドームでの復活コンサートに立ちました。「川の流れのように」は、その翌年1989年1月にリリースされ、同年6月、彼女は52歳でこの世を去ります。事実上、彼女自身の人生を締めくくる歌となったのです。没後、女性として初めて国民栄誉賞を受賞しました。

昭和という時代は、敗戦からの復興、高度経済成長、そしてバブルへと、めまぐるしく姿を変えていきました。美空ひばりの歌声は、その変化のただ中で、多くの日本人にとって「変わらないもの」の象徴であり続けたのだと思います。