🎧 対談で聴く(二人が語り合う、この記事の感想・解説)

この音声は、本文の内容をもとにGoogle NotebookLM(Gemini)が生成したAI音声解説です。二人のキャスターが感想や解説を交えて語り合う対談形式の音声で、本文をそのまま読み上げるものではありません。

不安をかかえていると、脳のパフォーマンスがとても下がってしまいます。なぜなら、頭の中で堂々巡りの心配を続けている間、脳のエネルギーの多くがそこに使われてしまい、目の前のことに使える力が残らなくなるからです。

紙に書き出すという方法

自分の感情や不安を頭の中でごちゃごちゃ考えるのではなく、日記のように紙に書き出すことで、気持ちが整理しやすくなるといわれています。書き出すときには、

  • なぜ不安なのか
  • どうすれば解決できるのか

を自分に問いかけながら行うとよいそうです。

正直に言うと、私自身はこの「紙に書き出す」習慣を続けたことはありません。ただ、66年生きてきて、不安とはずっと付き合ってきました。というのも、私はもともと不安を感じやすい体質だと自覚しているからです。危機管理という点では役に立つ面もあるのですが、常に悪い状況も想定してしまうクセがついているので、人より苦しい思いをしがちだと思います。

東洋医学から見た「不安」― 心(しん)の乱れ

鍼灸・漢方を学んだ立場から不安を見ると、五臓六腑のうち「心(しん)」の働きが大きく関わっていると考えます。心は、意識や思考といった高次の精神活動(神志)と、血液循環(血脈)の両方をつかさどっています。このうち神志のバランスが崩れると、精神活動が安定しなくなり、不安感が募りやすくなります。

大きく分けて三つのタイプがあるとされます。

  • 心血虚(しんけっきょ):臆病でびくびくしやすく、動悸やめまい、不眠、集中力の低下が長く続くタイプ。心を潤す滋養分(心血)が不足している状態です
  • 肝火(かんか):心血虚に、イライラやのぼせといった熱の症状が重なるタイプ
  • 心火(しんか):ふだんは平気でも、心配事が積み重なると布団に入ってからも考え込んでしまい、眠りが浅く、明け方に目が覚めて疲れが取れないタイプ

自分を振り返ると、心血虚の傾向が強いように感じています。過度の心労や過労が続くと心血が消耗し、この状態になりやすいと言われていますが、まさに事業を広げていた頃の自分に当てはまるように思います。

灸、指圧、漢方薬、そしてサウナと庭仕事 ― 私が実際にしていること

理論を知っているだけでは意味がないので、実際には次のようなことをしています。

不安を和らげるといわれるツボにお灸をすえたり、自分の指で押したり、皮内鍼を貼ったりします。これは、外からツボを刺激することで心血のめぐりを助けようという発想です。不安に良いとされる漢方薬を薬局で購入し、2週間ほど続けて使うと、私の場合はかなりの割合で症状が軽くなる実感があります。

木の香りに包まれたサウナの一室 木の香りに包まれたサウナの一室。毎日通って汗を流すことが、私の習慣になっている。
Photo by HUUM on Unsplash

サウナには毎日通っています。汗をしっかりかくことで、体だけでなく気持ちまでスッキリするように感じるからです。庭仕事も欠かせません。今年はズッキーニを育てていますが、無心になって土に触れ、植物が確かにそこで生きている存在感に浸っていると、いつの間にか頭の中の心配事が小さくなっていることに気づきます。

土から顔を出したばかりの新芽 土から顔を出したばかりの新芽。無心になって土に触れる時間が、いつのまにか頭の中を軽くしてくれる。
Photo by Yohan Marion on Unsplash

そして何より効くのは、妻に自分の気持ちを話すことです。話しているうちに解決策が見えてきたり、「なんで自分はこんなことに悩み、不安を感じていたのだろう」と不思議に思えてくることが少なくありません。声に出して誰かに聞いてもらうという行為そのものに、紙に書き出すのとはまた違った、言語化の力があるのだと思います。

こうして振り返ると、灸や漢方薬にはそれなりの費用もかかります。年金生活者にとっては小さくない負担です。それでも続けているのは、症状が軽くなるという実利以上に、「自分の体と向き合う時間を持てている」という安心感があるからだと思います。庭のズッキーニも、妻との会話も、お金には換算できない彩りを日々に与えてくれています。

何度も「もうダメだ」と思った日々

これまでの人生で特に強い不安を感じたのは、医学部を中退した頃、渡英した直後、事業を立ち上げた頃、リタイア前後、そして白内障手術を受けた頃でした。振り返ると、自分がいた環境の恒常性が脅かされていると感じるとき、いつも強い不安に襲われてきたように思います。

将来のお金への心配も、そのひとつです。50代の頃には、老後にいくら必要になるのか、具体的な数字が頭をよぎって夜眠れなくなることもありました。今こうしてリタイアした身になっても、その感覚が完全に消えたわけではありません。

そのときどう乗り越えたか、と聞かれると、実は特別な方法があったわけではありません。ただ全力で前に進んで砕けろ、という気持ちでやってきたように思います。もう駄目かと思ったことは何度もありました。それでも不思議なことに、最後にはなんとかなり、落ち着くところに落ち着いてきました。そんなとき、なぜか「神はあなたが耐えられないような試練を与えることはない」という聖書の言葉が頭に浮かびます。熱心なクリスチャンというわけでもないのですが。

英国と日本、不安との付き合い方の違い

緑の中の静かなベンチ 緑の中の静かなベンチ。英国に戻るたびに感じる「呼吸できる余白」を、こんな場所でよく実感する。
Photo by Damian on Unsplash

英国に戻ってくると、breathing space(呼吸できる余白)があると感じます。人との程よい距離感があり、緑が多く、それだけで癒される気がします。ロンドンのような大都市にも大きな公園がいくつもあり、街の中の憩いの場になっています。飛行機で上空からイギリスに近づいていくと、その町並みを見てほっとする自分がいます。同じように日本の上空からは、なぜかその感覚を得られません。

ただし、英国では「どこに身を置くか」がとても重要です。というのも、通りを一つ隔てただけで街の雰囲気ががらりと変わり、自分の中でふと赤信号がともることがよくあるからです。その点、日本はどこへ行っても安心していられます。夜中に、若い女性が暗い道を一人で歩いている姿を見かけることも珍しくありません。こうした「安心して歩ける」という感覚は、不安の総量そのものを静かに減らしてくれているのだと思います。

一方、大阪は緑が極端に少なく、人との距離感も、詮索しすぎるか、逆に無視するかという両極端になりがちだと感じます。「不安との付き合い方」という点で言えば、英国にいるときはビートルズの「Let It Be」のような、なるようになるという感覚が支えになり、日本にいるときは「諸行無常」という言葉が、心のどこかで支えになっているように思います。

結論

不安を紙に書き出すことも、確かに一つの方法だと思います。ただ、私にとっての「言語化」は、ツボに触れること、漢方薬を口にすること、汗を流すこと、土に触れること、そして妻に話すことでした。方法は違っても、不安を自分の外に出すという意味では、同じことをしてきたのかもしれません。

こうして書きながら思うのは、不安を感じやすい体質そのものは、案外、危機管理の力として機能してきたのではないかということです。それが習慣になることで、なんとか自分なりのバランスを保ちながら、この年まで生きてこられたように思います。

返信やコメントがなくても構いません。双方向のやりとりでなくても、片道の言葉が誰かの支えになることがある――そう信じて、これからも書き続けていきます。

※本記事は私自身の経験の記録であり、特定の症状の診断や治療を目的としたものではありません。不安が強く続く場合は、専門家にご相談ください。詳しくは免責事項をご覧ください。

ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

不安なときにふと聖書の一節が頭に浮かぶように、ことばが静かに心を支えてくれることがあります。俳句と聖書、二つの言葉の光を重ねた一冊です。これは私の義父の遺作です。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

未知の手術を前にした不安と、それにどう向き合ったかを綴った一冊です。環境の変化が不安を呼ぶ、という感覚に重なる部分があるかもしれません。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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