🎧 対談で聴く(二人が語り合う、この記事の感想・解説)
この音声は、本文の内容をもとにGoogle NotebookLM(Gemini)が生成したAI音声解説です。二人のキャスターが感想や解説を交えて語り合う対談形式の音声で、本文をそのまま読み上げるものではありません。
医学部に在籍していた5年間、解剖学や病理学の教科書で「死」という言葉を数えきれないほど目にしました。ですが、それはいつも病名や統計の中の死であって、自分自身がいつか経験する出来事としての死ではありませんでした。66歳になり、そろそろ他人事ではなくなってきた今、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間――死とその過程について』を読みました。1969年に出版され、末期患者の心理を否認・怒り・取り引き・抑鬱・受容という5つの段階で描いたことで知られる本ですが、実際に読んでみると、これは医療者に向けた専門書というより、いつか必ず死ぬ私たち一人ひとりに向けて書かれた手紙のように感じられました。今日は、この本から私が実際に始めてみたことを、体験談として書いてみます。
死を遠ざけるのでも、無理に見つめ続けるのでもなく、ただ小さな灯りとして持っておく——そんな心の持ち方をイメージしたイラストです。
「自分だけは死なない」という無意識に気づく実践
ロスは本の冒頭で、人間の無意識にはある奇妙な思い込みがあると書いています。
私たちは無意識のうちに、「自分にかぎって死ぬことは絶対にありえない」という基本認識をもっている。 ——同書「死の恐怖について」より
なぜこんな思い込みが生まれるのかというと、無意識は基本的に、自分が実際に体験したことをもとにしか「現実」を組み立てられないからです。ところが、自分自身の死だけは、それを体験した本人がもう振り返って語ることができない、唯一の出来事です。だから無意識には、他のどんな体験ともちがって、「自分の死」に関する記憶の材料が一切たまらない――ロスはそう説明しています。もうひとつ理由があります。無意識は、夢の中で「誰かに死んでほしい」と願うことと、実際にその人を手にかけることを、はっきり区別できません。どうしてそんなことが起こるのかというと、無意識は物事を時系列や善悪といった秩序立てて処理しておらず、「強く思い浮かべたこと」と「実際に起きたこと」をそもそも仕分ける仕組みを持たないからです。同じように、自分の死についても、頭の中で漠然と思い浮かべることと、それが本当に起こることとを、うまく区別できないのです。だから無意識は、自分の死を「まだ本当には起こっていないこと」として扱い続けてしまうのだと、ロスは説明しています。これを読んで思い当たったのは、遺言や資産の一覧表をずるずると先延ばしにしてきた自分の姿でした。頭では必要だとわかっているのに、手が動かない理由が、この本でようやく腑に落ちました。今は、年に一度、誕生月にエンディングノートと資産の一覧を見直す日を決めています。深刻に構えるためではなく、無意識がさぼりがちなことを、意識の側から定期的に手伝ってあげるためです。
死を直視し続けなくてもいい、と自分に許可を出す実践
「第一段階・否認と孤立」の章で、ロスはこう書いています。
われわれは、太陽をずっと見続けていることができないのと同じように、ずっと死を直視していることもできない。 ——同書「第一段階・否認と孤立」より
これは本文中でも出典が明かされない、古くから言い伝えられてきた言い回しですが、ロスはこれを、否認は病気の対処法として決して弱さではなく、むしろ健康的な自己防衛だという文脈で紹介しています。なぜなら、衝撃的な知らせを受けたときにいきなり全部を受け止めようとすれば、心のほうが壊れてしまうからです。少しずつ日光に目を慣らすように、少しずつ現実に慣れていく時間が誰にでも必要なのだと思います。私自身、健康診断の結果に気になる数値が出た日には、その日のうちに結論を出そうとせず、鍼灸院で自分の脈と身体の状態をゆっくり診てもらう時間を作るようにしています。西洋医学の検査数値と、鍼灸で触れる身体の実感とを両方の窓から眺めることで、一つの数字だけに気持ちが飲み込まれずにすむからです。太陽を見続けられないのと同じで、死についても、目をそらす時間があっていい――そう思えるようになったのは、この章のおかげです。
怒りの底にあるものを見きわめる実践
「第二段階・怒り」の章には、末期患者だったG博士自身の言葉が引用されています。
どうして私ではなく、あのジョーンズじいさんではいけないのか…… ——同書「第二段階・怒り」より
G博士は、道を歩く高齢者を見て、自分より役に立っていなさそうなその人ではなく、なぜ自分が病気になったのかと考えてしまったと告白しています。ロスはこの怒りの正体を、単なる不公平感ではなく、「自分の人生を自分でコントロールする力を失ったことへの反応」だと分析しています。本書にはO氏という患者の例も出てきます。何もかも自分で仕切ってきた実業家が、入院してすべてを人に委ねざるをえなくなり、激しく怒るようになった。ところが看護スタッフが、点滴や検温の時刻を彼自身に選ばせるようにしただけで、怒りは驚くほど収まったといいます。なぜそれで落ち着くのかといえば、怒りの根っこはコントロールの喪失そのものであり、ほんの少しでも決定権を返してもらえれば、その根が満たされるからです。同世代の友人や知人の病気や訃報に接する機会が増えてくると、私自身、理由のはっきりしない苛立ちを感じることがあります。そんなときは、庭の作業スケジュールや食事の献立など、自分でまだ決められる小さなことを意識的に選ぶようにしています。人生全体はコントロールできなくても、今日の一時間はコントロールできる――それだけで、怒りの温度が少し下がる気がしています。それでも、小さなことを選ぶだけでは消えきらない苛立ちも残ります。そうした感情は、誰かに解決してもらう必要はなく、ただ「同じように感じている人が他にもいる」と知っているだけで、ずいぶん軽くなるものだと感じています。対話がなくても、「同じ景色を見ている人がいる」と感じてもらえるなら、それは十分な繋がりだと私は考えています。
取り引きしたくなる心のクセを受け止める実践
「第三段階・取り引き」の章には、二人の患者の話が並べて紹介されています。一人は、顎と顔面のがんで二度と舞台に立てなくなったオペラ歌手です。彼女は「もう一度だけ舞台に立ちたい」という願いがかなわないとわかると、代わりにセミナーの場で学生たちに自分の人生を語りたいと願い出て、忘れがたい公演のような時間を残しました。もう一人は、結婚を控えた長男の晴れ姿をどうしても見たいと願っていた母親です。彼女は「せめて結婚式に参列するまで生き延びられるなら、それ以上は何も望みません」と、いわば神との間で約束を交わしました。式の前日、彼女はだれもが重病人とは信じられないほど生き生きとした様子で退院していきます。ところが式を終えて病院に戻ってきたとき、疲れ果てた彼女は、ロスが「お帰りなさい」と声をかけるより先に、こう言いました。
私にはもう一人息子がいるのを忘れないでね。 ——同書「第三段階・取り引き」より
「それ以上は望みません」という約束は、結局だれ一人守れなかったとロスは書いています。一つの願いが果たされた瞬間には、もう次の願いが生まれている――取り引きとは、「よい行い」への見返りを期限つきで願う、子どものような心の働きなのです。なぜ人はこうした取り引きをせずにいられないのかというと、何も交渉できない絶対的な運命よりも、たとえ気休めでも自分から働きかけられる余地があるほうが、人は耐えやすいからだと思います。これを読んで、自分がこれまで続けてきた投資や資産形成にも、これと同じ心の動きがあるのではないかと気づきました。「もう少しだけ生きさせてほしい」と神に願う代わりに、私は「もう少しだけ暮らしに困らないようにしておきたい」と老後資金を積み立ててきました。願う相手が神か将来の自分かがちがうだけで、どちらも「今はまだ差し出せないが、これだけのことをしておけば、その分だけ時間や安心を先に確保できるはずだ」という、同じ取り引きの構造をしているのだと思います。将来のお金の心配というのは、突き詰めれば「暮らしに困らずに、もう少し長く生きられる時間が欲しい」という取り引きの一形態だからです。だとすれば、それを恥じたり無理に消そうとしたりするより、人間らしい心の働きとして認めたうえで、感情的に貯め込むのではなく、淡々と資産を整理し、必要な保険や書類を整えておくほうが、お金の心配そのものを静かに減らしてくれます。なぜなら、不安のほとんどは「何がどうなっているか、自分でもよくわかっていない」ことから膨らむものだからです。取り引きの気持ちを頭の中で漠然と抱え続けるより、資産や保険の中身を紙の上で見える形にしてしまえば、「これだけ備えてある」という事実が、漠然とした不安を具体的な安心に置き換えてくれます。取り引きしたい気持ちを否定せず、行動という形で受け止めてあげる――これが今の私の実践です。
「もう少しだけ時間がほしい」という、取り引きの段階の心の動きをイメージしたイラストです。時計とカレンダーは、患者が心の中で神や運命と交わす、無言の約束を表しています。
二種類の抑鬱を見分ける実践
「第四段階・抑鬱」の章で、ロスは抑鬱を二つに分けています。ひとつは経済的な負担や役割の喪失からくる「反応的抑鬱」、もうひとつは、これから訪れる別れに向けて心の準備をする「準備的抑鬱」です。後者について、ロスはこう釘を刺しています。
患者に向かって「悲しむな」などと絶対に言ってはならない。 ——同書「第四段階・抑鬱」より
なぜ励ましてはいけないのかというと、準備的な抑鬱は病気の症状ではなく、これから起こる別れ――仏教でいう愛別離苦、愛する者や愛する暮らしと別れなければならない苦しみ――を、少しずつ引き受けるための、いわば必要な作業だからです。無理に元気づけることは、その作業を中断させてしまいます。若い頃の私であれば、悲しんでいる人には「大丈夫、きっと良くなる」と言うのが優しさだと思っていました。今は違う考え方をしています。何も解決しなくても、ただ黙って隣に座り、悲しみを悲しみのまま置いておいてあげることのほうが、本人にとって助けになる場合が多いのだと知ったからです。これは私にとって、若い頃にはできなかった苦しみの受け止め方――愛別離苦を無理に急いで乗り越えようとせず、ゆっくり通り抜けていいのだという再解釈でもあります。同世代の友人や知人の病気や死に直面する機会が増えていくこれからの年月、この二種類の抑鬱の違いを知っているだけで、相手にかける言葉も、自分自身の心の扱い方も、少し変わってくるだろうと思っています。
バラの庭で学ぶ受容の実践
「第五段階・受容」の章に、W夫人という58歳の女性の話が出てきます。彼女は自分の死を静かに受け入れかけていたのに、その事実を認められない夫が延命手術を強く望んだために、精神的な混乱に陥ってしまいます。夫が最終的に妻の望みを理解し、手術を取りやめたとたん、W夫人は落ち着きを取り戻しました。ロスは受容についてこう書いています。
受容とは、感情がほとんど欠落した状態である。ある患者の言葉を借りれば「長い旅路の前の最後の休息」のときが訪れたかのように感じられる。 ——同書「第五段階・受容」より
これは幸福な段階ではなく、苦闘が静かに終わった状態だとロスは注意深く書いています。なぜそう言えるのかというと、受容の前には必ず、否認や怒りや取り引きや悲しみという、感情のたっぷり詰まった段階を通ってきているからです。感情を使い切ったあとに残るのが、この静けさなのだと思います。私は毎年秋、庭のバラの花がらを摘み取ります。十種類以上育てている英国バラのうち、盛りを過ぎて色あせた花をそのままにしておくと、株は種をつくることにエネルギーを使い、来年の新しい蕾のための力が育ちにくくなります。しおれた花を惜しまずに摘み取ってこそ、次の芽に栄養が回る――これは私が勝手に思いついたたとえですが、W夫人が最後に望んだのも、これに近いことだったのではないかと感じます。過ぎたものへの未練を静かに手放すことは、何かを諦めることではなく、次に来るものへ場所を空けてあげることなのだと、バラの世話をしながら教わっています。
受容の段階をイメージしたイラストです。盛りを過ぎた花を手放すことは、株そのものを枯らすためではなく、次の季節の蕾に力を渡すための手入れだということを表しています。
有刺鉄線の中でも花は開く――希望を抱きながら今日を生きる
「希望」の章でロスが紹介しているのは、テレジン強制収容所に収容されていた子どもが1944年に書いた詩です。その収容所からは、収容されていた子どものうちわずか百人ほどしか生きて出られませんでした。
有刺鉄線に囲まれていても花は開く、それなら、この私だって、絶対に死んだりしない。 ——同書「希望」より
ロスは、末期患者を最後まで支えているのは、否認や怒りや取り引きの形を変えながらも、決して消えない希望なのだと書いています。なぜ希望だけが消えないのかといえば、希望とは「治る」という一点に賭けるものではなく、「今日、鳥のさえずりを聞く」「あと少しだけ誰かと言葉を交わす」といった、ずっと小さな単位でも成り立つものだからだと思います。健康寿命を延ばすとは、統計上の年数を延ばすことではなく、この小さな希望を毎日一つは持てる暮らしを保つことなのかもしれません。生命とは何か、幸せとは何か、人は何のために生まれてきたのか――こうした問いに、この本は明確な答えを与えてはくれません。ですが、W夫人の夫が最後に学んだのは、善とは相手を自分の望むかたちに留めておくことではなく、相手が本当に望んでいることに耳を傾けることだ、ということでした。愛別離苦から完全に逃れる方法はおそらくどこにもありません。ただ、悲しみをせき止めずに通り抜けさせ、取り引きしたい気持ちを行動に変え、怒りの奥にあるコントロールへの渇きに気づき、盛りを過ぎたものを惜しまず手放して次の季節に場所を譲り、有刺鉄線の中でも花のような小さな希望を摘み続けること――それが、命がどこから来てどこへ行くのかわからないままでも、今日という一日を楽しみ、わくわくしながら生きるための、私なりの実践です。記憶力や集中力が若い頃より衰えたことを感じる今だからこそ、忘れる前に書き留めておくというこの記録そのものが、私にとっての希望の一形態になっています。
今回ご紹介した本はこちらです。
エリザベス・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間――死とその過程について』(中公文庫)
(Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
著者エリザベス・キューブラー・ロスが生きた時代
著者エリザベス・キューブラー・ロスが生まれ育ったスイス・チューリッヒ近郊の風景をイメージしたイラストです。三つ子の一人として生まれ、極小未熟児だった彼女がやがて死と向き合う仕事に生涯を捧げることになるとは、この山あいの町ではまだだれも知りませんでした。
エリザベス・キューブラー・ロス(1926-2004)は、スイス・チューリッヒで三つ子の一人として生まれました。出生時の体重はわずか900グラムほどで、医師は生存をほぼ絶望視したといいます。敬虔なカトリックの家庭に育ち、父親は医学部への進学に強く反対しましたが、彼女は自分で学費を稼ぎながら学び続け、1957年、31歳でチューリッヒ大学医学部を卒業しました。医学生時代に出会ったアメリカ人留学生マニー・ロスと結婚し、1958年に渡米。ニューヨークで研修を続けるうちに、末期患者があまりに粗末に扱われ、だれからも死について語りかけられないまま孤独に亡くなっていく現実に衝撃を受けます。その後シカゴ大学ビリングズ病院の精神科講師となり、医学生を前にして患者本人にインタビューするという、当時としては型破りな授業を始めました。これが1969年刊行の本書の土台になっています。
彼女の視点の背景には、もう一つの体験があったといわれています。渡米前、彼女はポーランドのマイダネク強制収容所を訪れ、ガス室へ送られる前の子どもたちが壁に爪や小石で刻んだ、無数の蝶の絵を目にしました。明日をも知れぬ子どもたちが、なぜ死ではなく蝶を描いたのか――この問いが、のちに彼女が死にゆく人の内面に耳を傾け続ける仕事の原点の一つになったとされています。本書と同じ1960年代後半、英国ではシシリー・ソンダース医師が、痛みの緩和とともに患者の尊厳を守ることを目的とした近代ホスピス運動を始め、1967年にロンドンでセント・クリストファーズ・ホスピスを開設しています。大西洋の両側で、ほぼ同時に「死にゆく人にどう向き合うか」という問いが医療の表舞台に上がってきたことは、単なる偶然というより、当時の医療がそれだけ死から目をそらしていたことの裏返しだったのだろうと思います。
晩年のロスの姿は、この本の教えを裏切るものではなく、むしろその人間味を深めるものだったと私は感じています。1995年、彼女自身が脳卒中で倒れ、左半身の麻痺と長い療養生活を余儀なくされました。自分が唱えてきた「受容」を自分自身に対してすぐには適用できず、苛立ちや混乱を隠さなかったと伝えられています。死の理論を打ち立てた人でさえ、自分の死を前にしては、この本に書かれた否認や怒りをもう一度通り抜けなければならなかった――そのことは、この本を弱めるどころか、五つの段階がきれいな階段ではなく、だれもが行きつ戻りつする、生身の道のりであることを、著者自身の身をもって証明しているように思えます。2004年8月、彼女はアリゾナ州スコッツデールの自宅で、家族に見守られながら78年の生涯を閉じました。