🎧 対談で聴く(二人が語り合う、この記事の感想・解説)
この音声は、本文の内容をもとにGoogle NotebookLM(Gemini)が生成したAI音声解説です。二人のキャスターが感想や解説を交えて語り合う対談形式の音声で、本文をそのまま読み上げるものではありません。
英語学者・渡部昇一先生の名前を最初に意識したのは、『知的生活の方法』でした。学生時代に読んで、書斎を持つことに憧れた記憶があります。今回手に取ったのは、その渡部先生が満81歳のときに書かれた『60歳からの人生を楽しむ技術』。まえがきには「九五歳くらいまで生き、それまでの約二十年間は、現在と同じような楽しい生活、活動を続け……静かに死にたい」とあります。66歳の私にとって、この本はいわば17年先を歩く人からの手紙のようなものでした。今日は、本の紹介というより、私が実際に始めてみたことの記録です。
書斎の机に開かれた古い日記帳とインク瓶。朝の光が差し込む場面をイメージしたイラストです。記憶を書き残すことから、この記事の実践が始まります。
記憶こそが自分自身、という実践
渡部先生は、人体の細胞がほとんど入れ替わってしまうのに、なぜ幼い頃の自分と今の自分が同一人物だと言えるのかを考えます。答えとして辿り着いたのが、記憶でした。
記憶とは何なのだろうとよくよく考えると、その人のアイデンティティそのものであるという結論に至ります。 ——同書より
つまり、私を私たらしめているのは肉体ではなく、記憶の連なりだということです。だとすれば、記憶を書き残すことは、単なる備忘録ではなく、自分という存在そのものを保存する作業だということになります。これを読んで、このブログを書き続けている理由に、あらためて言葉がついたような気がしました。反応をもらうことを目的とはしていません。ただそこに記録があること自体が、同じように老いと向き合っている誰かにとって、「自分だけではない」と感じられる小さな灯りになればと思っています。そして、記憶力が弱くなっても、書くことで人生を編集し続けることはできる——そう思えるようになってから、日々の小さな出来事もメモしておく習慣がつきました。庭仕事の記録をつけているのも、突き詰めれば、同じ庭は二度と同じ姿では咲かないからです。今年のバラの咲き方も、今年の私自身も、来年にはもう記憶の中にしかありません。書き残しておけば、あとになってその年の自分を思い出すよすがになる——そう思うと、記録を取る手間も惜しくなくなりました。
「未だ生を知らず」と考える実践
本書でもっとも心を動かされたのは、死の恐怖にどう向き合うかを論じた章でした。渡部先生は『論語』から、弟子の子路に死について問われた孔子の言葉を引きます。
未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん ——同書より
生もわかっていないのに、どうして死がわかろうか、という意味です。この言葉に添えて渡部先生は「この時、孔子は六十代だったと推定されています」と書いていました。私も今、その年代にいます。若い頃にこの一節を読んでいたら、きっと禅問答のような格言としか感じなかったでしょう。死はまだ何十年も先の、自分には関係のない出来事だったからです。生を知り尽くすどころか、生をまだ始めたばかりだという実感すらなかったので、「生も死もわからない」という孔子の言葉は、机上の知恵としてしか響かなかったはずです。しかし66歳の今は違います。死をあえて考えないのではなく、今この瞬間の生をまだ十分に知り尽くしていないのだから、死を恐れる暇があったら生を味わい尽くそう、という開き直りに近い明るさとして読めるのです。死の正体を解き明かそうとしても、しょせん生きている者にはわからない——そう認めてしまえば、わからないものに怯え続けるより、わかる範囲のこと、つまり今日の生を大切にするほうに力を注げます。答えの出ない問いを解こうとするのをやめる、その潔さが「開き直り」だと感じるのです。仏教で四苦八苦のひとつに数えられる死苦——死への恐れそのもの——を、こうして少しだけ手放せるようになったのは、老いが私に配ってくれた数少ない贈り物だと思っています。若い頃は、死はまだ実感の伴わない抽象概念でしたが、今は身近な人の病や自分の身体の変化を通じて、死が「いつか」ではなく「いずれ確実に来るもの」だと肌で分かるようになりました。皮肉なことに、その実感があるからこそ、死を漠然と恐れる代わりに「今」に意識を向けられるようになったのだと思います。若い頃にはできなかったこの読み方ができている、ということ自体が、同じように老いと向き合う方への、ささやかな報告になればと思います。
静かな水面に夕焼けが映り込み、岸辺には一巻の書物が置かれている情景です。「未だ生を知らず」と考えることで、死への恐れを少しだけ手放せるようになった心境を重ねました。
自分の自由にならないことを諦める実践
もう一つ印象に残ったのが、奴隷の身分に生まれたストア派の哲学者エピクテトスの言葉でした。渡部先生の紹介によれば、母親が奴隷階級だったと言われる彼は幼くして奴隷となり、しばしば体罰を受けて育ちます。のちに解放されるのですが、その前に仕えていた乱暴な主人によって、片足を一生不自由な状態にされてしまいました。自分の体を思うままにできなかった、まさにその人が「自分とは何か」を突き詰めて考え、行き着いたのが次の言葉です。渡部先生はこれを、病気や体の不調にどう向き合うかの手引きとして紹介しています。
病気はあなたの肉体の故障であって、意志の故障ではない。……何事かがあなたに起こるたびに、必ずこのように考えよう。そうすれば、どんなことでもけっして、あなたに障害を与えないだろう。 ——同書より
自分自身とは肉体ではなく意志のことであり、意志だけが自分の自由になる範囲だ、という考え方です。これを読んでから、私は東洋医学の見立てと重ねて考えるようになりました。鍼灸や漢方を学んできた者として言えば、漢方薬の考え方も似ています。症状そのものを敵として叩くのではなく、体質という「自由にならない土台」を認めたうえで、整えられる範囲を少しずつ整えていく。たとえば膝が痛む朝は、まず「膝という部品が故障しているだけだ」とだけ受け止めます。そこで思考を止めるのがポイントです。以前の私なら、そこから「このまま歩けなくなったらどうしよう」「今日の予定はどうしよう」と、痛みそのものより、痛みについて考え続けることで気分まで沈んでいました。しかし、その「考え続けて落ち込む」部分は、膝の故障そのものとは別物で、私の意志の使い方次第だとエピクテトス流に切り分けられます。痛みは仕方がないと認めつつ、その先の落ち込みまで自動的に受け入れる必要はない、ということです。この線引きを覚えてから、体調の波に振り回される時間が確実に減りました。
言葉を鍛えて、老いを迎え撃つ実践
渡部先生は、人間を人間たらしめているのは言語だと繰り返し説きます。
言語こそが人間を人間たらしめるものなのです。 ——同書より
そして、ボケを防ぐ第一の方法として「言語のトレーニングを怠らないこと」を挙げ、毎朝の音読や、舌を左右に動かす運動、カラオケでの暗唱まで勧めています。これは私にとって、英国と日本を行き来する暮らしそのものでした。日本語でこのブログを書き、英語で庭仕事の日誌をつけ、両方の言語で毎朝のニュースを声に出して読む。渡部先生の理屈に従えば、これは単なる語学の維持ではなく、脳への血の巡りそのものを保つ運動だということになります。実際、英語で考えていた発想を日本語に置き換えようとする瞬間、頭の中で小さな回り道が生まれるのを感じます。たとえば庭で"the roses are past their best"と英語でふと思ったとき、それをそのまま「バラは最盛期を過ぎた」と直訳しても、どこか座りが悪い。「盛りを過ぎた」なのか「見頃が終わった」なのか、日本語としてしっくりくる言い方を探して、いったん元の英語のニュアンスから外れ、日本語の語感の中を歩き回ってから、ようやく一つの表現に着地する。この、一直線には訳せず脳内をぐるっと巡ってから言葉にたどり着く感覚こそが、私の言う「回り道」です。この「回り道」こそが、老いに対する一番地味で確実な抵抗なのかもしれません。
歩行禅という実践
もう一つ、すぐに取り入れられたのが「歩行禅」でした。渡部先生は、瞑想が脳に与える効果についてのアメリカの研究を紹介しています。マサチューセッツ・ジェネラル病院の研究者セイラ・ラーザが、黙想を毎日続けている人の大脳皮質の一部が実際に厚くなっている写真データをもとに導き出した数字が、この「四十分」でした。
加齢と共に薄くなってゆく大脳のその部分の変化は、毎日四十分の黙想で遅くすることができるのではないか。 ——同書より
座って黙想するのは苦手でも、歩きながらなら同じ効果が得られるはずだ、というのが渡部先生の実践でした。私はこれを庭に応用しています。朝、バラの手入れをしながら、あるいは水やりの合間に、ただ茂みの間をゆっくり歩く。考え事をしながら歩いていると、ふとバラの香りだけに意識が向く瞬間があり、それが渡部先生の言う「歩行禅」の状態に近いのだろうと感じています。庭の10種類以上のバラは、それぞれ咲く時期も香りも違うので、毎朝同じ道を歩いても飽きることがありません。夜間頻尿で睡眠が何度も中断されるようになった年代ですから、朝の一時間をこうして意識的に整えることは、思っていた以上に一日の質を左右すると実感しています。
朝露に光るバラ園の小径を、考えごとをしながらゆっくり歩く場面です。庭を巡るその時間が、渡部先生の言う「歩行禅」に近い実践になっています。
授けられたものに恍惚を得る実践——私が本から一歩踏み出したところ
最後の章で渡部先生は、近代人には「努力したものにこそ価値がある」と思い込む病弊があると指摘します。しかし、努力の結晶であっても価値のないものはあるし、逆に、努力とは無関係なのに何より価値のあるものもある。その最たる例が生命そのものだ、というのです。私たちは自分の努力で生命を獲得したわけではなく、父母から、あるいは自然から、いわば授けられただけです。だとすれば、努力して得たものより、授けられたもの——生命そのものや、目の前の美しさに心を奪われる瞬間——のほうが、人生の価値を決めているのではないか。渡部先生はそう書いています。江戸期の儒学者・佐藤一斎の言葉も引かれていました。
少にして学べば則ち壮にして為すあり。壮にして学べば則ち老いて衰えず。老いて学べば則ち死して朽ちず。 ——同書より
「死して朽ちず」、つまり死んでもなお朽ちない何かが残るという一節は、当然「では死後に何が残るのか」という問いを呼びます。渡部先生はこれを、死後の世界を信じるかどうかの「賭け」として論じていましたが、私はここから、もう一つ別の道を考えました。渡部先生自身が本書の別の章で説いていたように、人は記憶される限り生き続けます。だとすれば「死して朽ちず」とは、後世に名を残すことだけでなく、誰かの記憶の中に——あるいは、誰かが読む記録の中に——生き続けることでもあるはずです。私が日本語と英語、二つの言語でこの暮らしを書き残しているのは、渡部先生の言う「言語こそが人間を人間たらしめる」という考えを、私なりに一歩進めた実践なのだと、この本を読んで初めて気付きました。二つの言語で記録を残すことは、老いても「自分」という記憶の器を、二重に、そして少しだけ長く保つ方法なのかもしれません。
苦しみは消えません。夜中に何度も目が覚めることも、膝の痛みも、来年再来年と続くでしょう。それでも、記憶を自分だと思い、生を知り尽くすことに専念し、自由にならないことは手放し、言葉を鍛え、歩きながら心を整え、授けられたものに驚く。渡部先生が81歳で書いた言葉は、17年若い私の手元でも、今日からすぐに使える道具として働いてくれています。
今回ご紹介した本はこちらです。
(Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)
ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
著者・渡部昇一が生きた時代
渡部昇一が旧制中学に通っていた1940年代の教室をイメージしたイラストです。戦中戦後の学制の変わり目を思春期に経験した世代の空気を、木造校舎の質感で表しました。
渡部昇一(1930-2017)は、山形県鶴岡市に生まれました。旧制山形県立鶴岡中学校に在学中に学制改革を経験し、1949年、新制の鶴岡第一高等学校を卒業しています。本人が後年、友人づくりにもっとも恵まれた時代として旧制高校時代を振り返っているのは、戦中戦後の激動を思春期に経験した世代らしい感慨と言えるでしょう。同年、上智大学文学部英文科に入学、大学院で西洋文化を修めたのち、ドイツ・ミュンスター大学、英国オックスフォード大学に留学しました。1958年、ミュンスター大学から哲学博士号を取得しています。
彼が学生・研究者として過ごした1950年代は、日本がまだ戦後の窮乏から抜け出しつつある時代でした。本書の中で語られる、寮生活の貧しさや、肺結核が身近な脅威だった学生時代の記憶は、この時代背景と切り離せません。同時に、彼が留学したドイツ・英国の大学図書館の自由な蔵書へのアクセスは、当時の日本の学術環境とは大きく異なる体験であり、それが後年、私費で書庫を新築するほどの「書斎への情熱」に結びついていったことがうかがえます。
帰国後は上智大学で教鞭を執り、専門である英語学史のかたわら、評論家として歴史・教育・成功哲学など幅広い分野で発言を続けました。代表作『知的生活の方法』(1976年)は、知的な生活を送るための具体的な環境づくりを説いた本として、世代を超えて読み継がれています。保守派の論客としても知られ、政府の各種委員も務めましたが、本書に見られるのは、そうした公的な顔とは別の、老いと死という誰にとっても避けられないテーマに正面から向き合う、一人の生活者としての姿です。
2017年4月17日、心不全のため東京都杉並区の自宅で逝去。86歳でした。本書の「まえがき」で本人が語っていた「九五歳まで生きたい」という願いは叶いませんでしたが、81歳の時点で綴られたこの本の実践の多くは、書斎の生活を最期まで手放さなかった彼自身の晩年と、ほぼ重なっています。