🎧 対談で聴く(二人が語り合う、この記事の感想・解説)

この音声は、本文の内容をもとにGoogle NotebookLM(Gemini)が生成したAI音声解説です。二人のキャスターが感想や解説を交えて語り合う対談形式の音声で、本文をそのまま読み上げるものではありません。

今回読んだのは、レオ・バスカーリア博士の絵本『葉っぱのフレディ いのちの旅』です。医学部を離れてから鍼灸や漢方の道に進み、今は英国と日本を行き来しながら庭仕事をして暮らしている私にとって、この本は長らく本棚の隅に置いたままでした。子ども向けの絵本だと思い込んでいたからです。今回あらためて開いてみると、これは子どものための本であると同時に、日々の変化をどう受け止めるかについて大人に語りかけてくる一冊でした。今日は、この薄い絵本をきっかけに私が実際に始めてみたことを、体験談としてまとめてみます。

枝先に生まれたばかりの若葉一枚のイラスト

物語の主人公フレディが、まだ枝の先で小さく巻いたまま生まれてきたばかりの場面をイメージしたイラストです。すべての実践は、この一枚の若葉から始まります。

「同じ形はひとつもない」ことを受け入れる実践

物語の主人公フレディは、はじめは自分もほかの葉っぱも同じ形だと思い込んでいます。

はじめフレディは葉っぱはどれも自分と同じ形をしていると思っていましたが、やがてひとつとして同じ葉っぱはないことに気がつきました。 ——同書より

同じ枝に生まれても、隣り合う仲間とはまるで違う姿を持っている、という気づきです。

これは英国の庭で世話をしているバラを見ていても実感します。10種類以上のバラを同じ列に並べて育てていますが、同じ肥料、同じ水やりをしていても、一輪ごとに開き方も香りの強さも微妙に違います。老いの現れ方も、これと同じなのだろうと思うようになりました。同世代の友人と比べて「自分だけ違う」と焦る必要はなく、そもそも誰ひとりとして同じ枯れ方をする葉っぱなどいないのです。

「これも葉っぱの仕事なんだよ」——役割を持ち続ける実践

夏の盛り、公園に涼を求めてやってきた人々のために、フレディたちは葉を揺らして風を送ります。

「フレディ これも葉っぱの仕事なんだよ。」 ——同書より

見返りを求めず、ただそこにいて誰かの涼になる。それも立派な仕事なのだ、という言葉です。

現役を退いてからというもの、大きな肩書きのある仕事はもう自分には縁がないと感じていました。しかしこの一文を読んで、今の私にも「葉っぱの仕事」ならあるのだと思い直しています。近所に庭の余ったバラの苗を分けること、英語圏の読者にこちらの暮らしを書いて渡すこと。どれも風を送るくらいの小さな仕事ですが、誰かにとっての涼になっているなら、それで十分だと思えるようになりました。

「変化するのは自然なことなんだ」——諸行無常を受け止める実践

冬支度を前に怯えるフレディに、親友のダニエルはこう語りかけます。

世界は変化しつづけているんだ。変化しないものは、ひとつもないんだよ。……死ぬというのも、変わることの一つなのだよ。 ——同書より

これは仏教の説く諸行無常——すべてのものは移り変わり、とどまるものはひとつもないという考え方に、驚くほど近い言葉です。

長年、個人投資家として相場と付き合ってきましたが、暴落の日ほど「この下落は特別な異常事態だ」と身構えてしまいがちです。今は、そういう日にこそこの絵本の言葉を思い出すようにしています。相場が上がるのも下がるのも、木の葉が色を変えるのと同じ、自然の摂理の一部でしかない。そう捉え直すと、慌てて何かを決めてしまう前に、一呼吸置けるようになりました。日本にいる間は紅葉狩りに出かけ、英国にいる間はオータム・カラーズを見に森を歩きますが、同じ「色の変化」を二つの国の文化がそれぞれ違う言葉で愛でているのも、興味深い符合だと感じています。

紅葉した公園全体が虹のように色づく情景のイラスト

金・橙・緑・濃緑と、木々が一斉に違う色へ変わっていく公園をイメージしたイラストです。変化そのものが自然の摂理であることを、虹のような色の並びで表しました。

光線を浴びる時間を意識してつくる実践

フレディが仲間から学ぶことのひとつに、日光浴の作法があります。

日光浴のときはじっとしているのがよいということも覚えました。 ——同書より

葉っぱたちは、ただじっと光を受けることで一日分の力を蓄えていたのでした。

東洋医学には光そのものを用いる光線療法という考え方があります。特別な機器を使わなくても、朝のうちに縁側やコンサバトリーで十数分、何もせずに光を浴びるだけの時間を意識してつくるようにしています。フレディたちが「じっとしているのがよい」と学んだように、光を浴びる間は用事を持ち込まないことが、この習慣の一番の効き目だと感じています。

友を見送る実践

秋が深まると、フレディの仲間たちは一枚また一枚と枝を離れていきます。最後まで残った親友のダニエルも、やがて静かに旅立ちます。

「さようなら フレディ。」 ダニエルは満足そうなほほえみを浮かべ、ゆっくり静かにいなくなりました。 ——同書より

見送る側にも、見送られる側にも、恐れよりも穏やかさが漂う場面です。

70代になると、友人や知人の病気や死に直面する機会が自然と増えていくものだと聞きます。私自身、まだその年代ではありませんが、この数年で何人かの旧友を見送る経験をしました。ダニエルのこの場面を読んでから、訃報に接したときの受け止め方が少し変わりました。悲しみを消すことはできませんが、「その人らしい満足そうな去り方だったのだろうか」と想像してみる。それだけで、悲しみの中にわずかな穏やかさが差し込んでくる気がしています。

土に還り、次のいのちを育てる実践

物語の終盤、雪の上に落ちたフレディは、自分がやがて土に溶け込み、木を育てる力になることを知ります。

"いのち"は土や根や木の中の、目には見えないところで新しい葉っぱを生み出そうと準備をしています。大自然の設計図は、寸分の狂いもなく"いのち"を変化させつづけているのです。 ——同書より

一枚の葉の一生は終わっても、その葉が支えた木は続いていく、という視点です。

記憶力や集中力の衰えを感じることが増えたこの頃、書いたそばから忘れていくもどかしさがあります。それでも、書いたものはブログという土に残っていく。今は、その記録に対して返信やコメントを期待しないようにしています。反応をもらうことを目的とせず、ただそこに記録があること自体が、誰かにとっての小さな灯りになればと思っています。読んだ人の記憶には残らなくても、その人の中で何かを育てる養分の一部になれたなら、それで十分だと思うようになりました。

地上の落ち葉と、地中で新しい芽の準備が進む様子を対比した断面図イラスト

地上に散った落ち葉と、その下で根とともに静かに育っている新しい芽を対比した断面図です。見えなくなったものが、見えないところで次のいのちを支えている様子を描いてもらいました。

生まれてきてよかったのか、という問いへの私の答え

物語の終わり近く、フレディはダニエルに「ぼくは生まれてきてよかったのだろうか」とたずねます。ダニエルは、二人で過ごした日々を振り返ってこう答えます。

それはどんなに楽しかったことだろう。それはどんなに幸せだったことだろう。 ——同書より

生命とは何か、幸せとは何か、人は何のために生まれてきたのか——こうした大きな問いに、私は長いあいだ明確な答えを持てずにいました。それでもこの絵本を読み終えて、答えは「どんな結果を残したか」ではなく「その日々がどれほど楽しく、幸せだったか」の側にあるらしい、と思うようになりました。若い頃にはできなかったこの捉え方が、今の自分の中に自然と芽生えていることに、あらためて気づかされます。苦しみや老いがなくなるわけではありません。それでも、変化を恐れず、小さな役割を持ち続け、光を浴び、友を見送り、記録を残す。この絵本が語りかけてくることは、一本の木の下で暮らす一人の生活者にも、今もそのまま届いています。

今回ご紹介した本はこちらです。

レオ・バスカーリア『葉っぱのフレディ いのちの旅』(みらいなな 訳、童話屋)単行本

(Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)

ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

一枚の葉の変化を見つめたこの本と同じように、一句一句に移ろう季節を映した句集です。これは私の義父の遺作です。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

「変化を受け入れる」という実践を、実際の手術という体の変化の場面で試した体験記です。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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著者レオ・バスカーリアが生きた時代

1970年代アメリカの大学教室で、机を離れて学生たちと車座になって語る講師のシルエットのイラスト

机が壁際に片づけられ、講師と学生が床に車座になって語り合う1970年代の教室をイメージしたイラストです。バスカーリアが開いた自主講座「Love 1A」の雰囲気を想像して描いてもらいました。

レオ・バスカーリア(1924-1998)は、イタリア移民の両親のもとロサンゼルスに生まれました。大家族での賑やかな食卓と、隣人同士が互いの暮らしに深く関わり合う移民コミュニティの中で育ったことが、のちの彼の思想の土台になったと言われています。教育者としてのキャリアは、障がいのある子どもたちを教える特別支援教育の教師として始まり、その後南カリフォルニア大学(USC)で教鞭を執るようになりました。

転機になったのは、教え子の一人が自ら命を絶った出来事でした。この経験に衝撃を受けたバスカーリアは、単位にならない自主講座「Love 1A(愛について)」を開講します。学生同士が輪になって「愛する」「生きる」「死ぬ」といったテーマを率直に語り合うこの講座は評判を呼び、その内容をまとめた著書『Love』(1972年)はベストセラーとなりました。以後、彼はテレビの公開講演番組でも広く知られるようになり、「ドクター・ラブ」の愛称で親しまれます。

『葉っぱのフレディ いのちの旅』は、そうした著述活動の中でバスカーリアが生涯にただ一冊だけ手がけた絵本です。本書の冒頭で著者自身が記しているとおり、この本は「死別の悲しみに直面した子どもたち」「死について適確な説明ができない大人たち」、そして担当編集者バーバラ・スラックへの献辞として書かれました。バスカーリアは自らを一本の木にたとえ、バーバラを「この十年間かけがえのない葉っぱでした」と記しています。大学の講義室で愛と死をまっすぐに語り続けた人物が、最後に子どもと大人の両方に向けて残したのが、この一枚の葉の物語だったのです。彼自身は1998年、74歳で心不全のため亡くなりました。