🎧 対談で聴く(二人が語り合う、この記事の感想・解説)
この音声は、本文の内容をもとにGoogle NotebookLM(Gemini)が生成したAI音声解説です。二人のキャスターが感想や解説を交えて語り合う対談形式の音声で、本文をそのまま読み上げるものではありません。
小椋佳さんが作られた「愛燦燦」という曲に、私が最初に心を動かされたのは、まだ20代半ばのことでした。もともとは美空ひばりさんの歌声で世に出た曲でしたが、後年、作者ご本人である小椋佳さんご自身の歌声でこの曲を聴く機会があり、静かで飾らないその歌い方に、また違った形で胸を打たれたのを覚えています。
当時の私は、それまで歩んでいたはずの道を大きく外れ、この先どうやって生きていけばよいのか、はっきりとした答えを持てずにいました。周りの同級生たちがそれぞれの専門を修めて歩き出していくのを横目に見ながら、自分だけが取り残されているような、心細い気持ちを抱えていたように思います。そんな時期に、人生には晴れの日もあれば雨の日もあり、それでも変わらず陽は昇り、また誰かのやさしさに支えられて日々は続いていくのだ、というこの曲の静かなメッセージに触れたことは、いま振り返ってみても、ひとつの支えだったのだろうと感じます。

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20代の私と、この曲の温度
20代の私は、正直なところ、その言葉の本当の重みをまだよくわかっていなかったと思います。人生の浮き沈みという言葉も、どこか他人事のように、頭で理解していただけだったのかもしれません。それでも、根拠のない不安の中にいた自分にとって、「大丈夫、これでいいのだ」と静かに肩を叩いてくれるようなこの曲の温かさは、間違いなく心の支えになっていました。あの頃の私は、ロンドンでの日本食レストランでの仕事を皮切りに、まったく畑違いの世界へと飛び込んでいくことになるのですが、その後の起伏の多い日々を思うと、あの時期にこの曲に出会えていたことは、ひとつの巡り合わせだったようにも思います。
66歳になったいま、感じること
66歳になったいま、この曲を聴き直すと、感じ方はずいぶん変わりました。日本食ビジネスでの挑戦、鍼灸や漢方を学び直した日々、家族との時間、そして英国と日本を行き来する二拠点生活――ふり返れば、確かに晴れの日ばかりではありませんでした。うまくいかなかった商売もありましたし、体力や記憶力の衰えを感じる場面も増えてきました。それでも、雨の日があったからこそ見えてきた景色や、支えてくれた人たちとの出会いがあったことも、いまならはっきりとわかります。この曲が歌う「それでも人生は輝いている」という感覚は、若い頃には理解として受け止めていたものが、いまでは実感として、体の中にすとんと落ちてくるようになりました。
諸行無常 ― 移ろうことこそ、希望
この曲を聴いていると、仏教でいう「諸行無常」という言葉がふと頭に浮かびます。すべては移ろい、同じ状態がずっと続くことはない。晴れも雨も、幸福も苦しみも、永遠には留まらない。私たちはとかく「悪いことが続く」と感じるときほど、その苦しみが永遠に続くように錯覚してしまいますが、実際には、天候と同じように、必ず移り変わっていくものなのだと思います。若い頃はこの言葉を、どこか諦めの哲学のように受け止めていましたが、66歳になったいまは、むしろ希望の言葉として響きます。今がどんな状態であれ、それは通過点に過ぎないのだと。
庭が教えてくれること
家庭菜園で野菜や花を育てていると、晴れの日ばかりでは作物は育たないのだと、身をもって感じることがあります。雨も、風も、時には嵐さえも、実りのためには必要なのだと。人生も同じなのだろうと、この曲を聴くたびに思います。若い頃は「浮き沈み」を乗り越えるべき試練のように捉えていましたが、いまは、その浮き沈みそのものが人生を豊かにしてくれる材料なのだと、素直に受け止められるようになりました。
家庭菜園を続けていて気づくのですが、植物は「生きよう」とする力を、こちらが手を貸さなくても、もともと内側に持っています。私たちにできるのは、その力が発揮されやすい環境を整えることだけです。人の健康寿命も、同じことなのかもしれません。特別なことをするというより、体がもともと持っている力を、日々の小さな選択(歩くこと、よく眠ること、笑うこと)で邪魔しないようにする。そう考えると、健康寿命を生きるということは、何かを足すことよりも、余計な力みを引くことに近いのではないかと、庭を眺めながら思うことがあります。
国や文化を越えて ― 静かな強さ
この曲がもともと、家族を支える気丈な母親の姿を描いたCMのために生まれた曲だと知ったとき、私はふと、英国での暮らしを重ねずにはいられませんでした。英国には「Keep Calm and Carry On」という言葉があります。第二次大戦下で生まれたこの標語は、感情を大げさに表に出さず、淡々と日々を続けていくことの強さを説いています。日本の「愛燦燦」が歌う、雨の日にも黙って耐え、また晴れの日を待つという姿勢と、どこか通じるものがあるように感じます。国も文化も違うのに、人が困難を受け止めるときの静かな強さには、共通するものがあるのかもしれません。
むすびに
こうして自分の体験を書き記すことに、大きな意味があるとは思っていません。ただ、同じように人生の浮き沈みの中にいる方が、この文章のどこかで「自分だけではないのだ」と、ふと感じてくださることがあれば、それだけで十分だと思っています。
これから先の人生にも、きっとまた晴れの日と雨の日が交互にやってくることでしょう。それでも、この曲が教えてくれたように、陽はまた昇り、誰かのやさしさに出会い、日々は続いていく。そう思うと、これから先の日々にも、まだ見ぬ楽しみや出会いが待っているのだと、静かな希望を感じることができます。人生は、生きてみるだけの価値があるのだと、この曲はいつも、そっと背中を押してくれます。
参考リンク
- 小椋佳 公式サイト(日本コロムビア オフィシャルサイト)
- 「愛燦燦」小椋佳セルフカバー収録アルバム『風韻〜提供楽曲セルフカヴァー集〜』(UNIVERSAL MUSIC JAPAN 公式商品ページ)
- 愛燦燦(あいさんさん)美空ひばり(Nippon Columbia提供の公式音源/YouTubeで見る)
歌詞を読む(歌ネット):https://www.uta-net.com/song/71720/※歌詞は外部の歌詞データベースサイトでお楽しみください。
(※本曲はもともと美空ひばりさんのために書き下ろされ、1986年5月29日にシングル発売された楽曲です。小椋佳さんご本人による歌唱版は、上記セルフカバー・アルバムに収録されています。)
ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』
晴れの日も雨の日も、移ろいゆく季節の中に光を見出す。俳句のことばもまた、そんな静かなまなざしを教えてくれます。これは私の義父の遺作です。
Amazonで見る小椋佳さんについて(プロフィール・経歴)
小椋佳(おぐらけい、本名:神田紘爾〈こうだ こうじ〉)さんは、1944年1月18日、東京都台東区上野の生まれです。実家は小料理屋を営み、父は琵琶を、母は端唄や小唄をたしなむという、芸事に親しみのある家庭で育ちました。都立高校を経て一浪の末、東京大学文科一類に入学。法学部で私法を学び、1967年に卒業しています。
音楽との出会いは大学時代にさかのぼります。劇作家・寺山修司の舞台に強く感銘を受け、寺山家に出入りするようになったことがきっかけで、1969年、寺山が手がけた劇団天井桟敷のアルバムに参加。1971年には歌手としてデビューを果たしました。
しかし小椋さんが選んだ道は、音楽一本で生きることではありませんでした。大学卒業と同じ1967年、日本勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行し、銀座支店や兜町支店、本店証券部などを歴任するエリート銀行員としてのキャリアを歩みながら、その傍らで作詞・作曲・歌唱活動を続けるという、異色の「兼業シンガーソングライター」としての人生を選んだのです。デビュー後20年以上、ほとんどメディアの表舞台には出ないという姿勢を貫きながらも、1976年のNHKホール初コンサートには11万通もの応募が殺到し、ライブアルバムが20億円を売り上げるなど、静かな熱狂を集めていました。
作家としても非常に多作で、これまでに300人を超える歌手に楽曲を提供しています。布施明さんに提供した「シクラメンのかほり」は1975年の日本レコード大賞を受賞。中村雅俊さんの「俺たちの旅」「時代遅れの酒場」、梅沢富美男さんの「夢芝居」、そして美空ひばりさんに提供した「愛燦燦」など、時代を超えて愛される数々の名曲を世に送り出してきました。
1993年、49歳で銀行を退職した後は、コンサート活動を本格化させる一方、東京大学に学士入学して法学・政治コースを修め、さらに文学部思想文化学科、大学院哲学専攻へと進み、2000年に修士号を取得するなど、学びへの情熱も持ち続けました。2001年には人間ドックで胃がんが早期発見され、手術を経て活動に復帰しています。
2021年、デビュー50周年を機に芸能界からの引退を表明し、2023年1月18日、自身の誕生日にNHKホールで開催されたファイナル・コンサートをもって、長いキャリアに一つの区切りをつけました。銀行員としての実務能力と、詩人としての繊細な感性をあわせ持つ、日本の音楽史においてもきわめて稀有な存在と言えるでしょう。