秋の光のなかの温室と畑の線画

ヘルマン・ホイヴェルスというドイツ生まれのイエズス会司祭が七十代の終わりにまとめた随想集『人生の秋に』をきっかけに、66歳の私が実際にやってみていることを体験談としてまとめました。一九二三年(大正十二年)に来日し、そのまま五十四年間を日本で過ごした人です。読みはじめてすぐ、これは「老い方の教科書」ではないな、と感じました。教えてくれるというより、隣に座って自分の失敗や楽しみを話してくれる、そういう本です。

「時間の畑」に記録を残す実践

序文で神父は、実ることこそ人生ではないか、時間という畑で心の実をむすぶことではないか、と書き、良寛の辞世を引きます。

形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉

自分と世界が一つのものになっている歌だ、と神父は言います。そして自分もいま人生の秋を迎えて何かよいものを残したい、と静かに宣言して本文に入っていきます。

この「時間の畑」という言い方が、私にはしっくりきました。私は温室のキュウリやトマトの成長を、日付と気温と一緒にブログの栽培日誌につけています。自分の備忘録のつもりでしたが、神父の言い方を借りるなら、あれも畑に実をむすばせる作業のうちなのかもしれません。

それ以来、うまくいったことだけでなく、枯らしてしまった苗や、投資で判断を誤った場面も、なるべくそのまま書き残すようにしています。記憶力が落ちてきた自覚があるからこそ、書いたものが自分の人生の目次になってくれる。そう思うと、書く手が少し軽くなりました。

衰えに名前をつけて眺める実践

「年をとるすべ」という章で、神父は旧約聖書のコヘレトの言葉を引きながら、老いの身体を一つずつ言い換えていきます。家の番人とは手や腕、力持ちとは足、臼をひく女とは歯、窓からのぞく二人とは目、道へのとびらとは耳、粉をひく音とは声のこと。年をとるとそれらが順に細くなり、静かになっていく、というのです。そして「どのような心で、人はこの老境をむかえるべきでしょうか」と問いかけます。

これを読んだ日、私は自分の「弱み」の一覧を思い出しました。関節のこわばり、体力の低下、夜間の頻尿、記憶力の衰え。並べると気持ちが沈む項目ばかりです。

けれど神父のやり方をまねて、古い比喩の名前をつけ直してみると、不思議と眺めやすくなりました。朝の指のこわばりは「番人が起きるのに時間がかかっている」、階段で息が上がるのは「力持ちが少しかがんでいる」。ふざけているようですが、これは私には有効でした。症状を自分の欠陥として抱え込むかわりに、何千年も前から人間に起きてきた出来事の一例として、少し離れて見られるようになったからです。

同じ年頃の方に、この感覚だけはお伝えしたいと思います。統計ではなく、一人の生活者の実感として。

夜明け前、家並みのなかで一つだけ灯りのともった窓の線画

一日の「型」を先に決めておく実践

「わたしの一日」という章が、私にはいちばん実用的でした。夏は四時、冬は四時二十分に起き、暗いうちに聖堂へ行き、五時に扉を開ける。六時にミサ、朝食、九時から仕事、昼食、昼寝、夕食、読書。時刻まで書き出された一日です。

そのうえで神父は、老年になったらどうするのがよいかを提案します。まず決まった時間に起きること。散歩をするようにゆっくり出かけ、また歩いて帰ること。家で楽しい朝食をとること。そのあとは一日を、何か有益な仕事か、楽しみな遊びに使うこと。ドイツの養老院は設備は完璧だが幸福な人はいなかった、という新聞記者の話のすぐあとに置かれた提案です。

引退して一年余り、私にはこれが刺さりました。「有益な仕事か、楽しみな遊び」という二択が良いのです。どちらでもいい、けれどどちらでもない時間を長くしない。

そこで、朝の型だけを固定しました。起床時刻、白湯、温室かベランダの見回り、そして一時間だけの机仕事。この四つを済ませてから、その日を始めます。引退後の「就活」とは、新しい肩書きを探すことではなく、この二択の枠を毎日自分で埋めていく作業のことだと、いまは考えています。

「心のリズム」で働き、休む実践

「静けさ」という章で、神父は面白い観察をしています。世の中に完全な静けさはあり得ない、味わう静けさの背景には必ず何か音がある、と。松にあたる風、小川のせせらぎ、そして自分の大好きな都会の騒音、と続けるところが良いのです。

同じ章で、長野の農家に転じた方の言葉が紹介されます。日本の百姓はよく働くけれど、疲れているときはしばらく気楽に休み、また続けて働く。だから苦労とは思わない、と。神父はこれを「頭のリズムではなく、心のリズムで働く」と言い換えています。

私は長く飲食の仕事をしてきたので、時間で区切って働く癖が抜けません。引退後もつい、今日は何時間机に向かった、と数えてしまう。この章を読んでから、疲れを感じたら数えるのをやめて、いったん温室へ出るようにしました。戻ってまた続ける。続けない日もあります。

面白いことに、静かな部屋よりも、雨音や外の物音がある方が仕事が進みます。無音を用意しようとしていた頃より、いまの方がずっと落ち着いて机に向かえています。

「末席」に自分から座ってみる実践

「末席と人生の価値」という短い章があります。人間の価値はこの世で決まるものではない、と神父は書きます。神の国は宴会のようなもので、そこには上席も末席もあるだろう。しかし末席になったとしても、幸いなるかな、と。

私はカトリックではありませんが、この一言には宗教の枠を超えて助けられました。人と会うと、つい自分の位置を測ってしまうからです。あの人は資産をどれだけ持っている、あの人はまだ現役だ、自分の年金と投資はこれで足りるのか。お金の心配というのは、たいてい絶対額ではなく、この比較から生まれてくるのだと気づきました。

そこで最近は、会合や集まりで意識して末席に座るようにしています。文字通りの席の話です。入口に近い、少し隅の席。すると不思議なもので、誰が上座かを気にする回路が働かなくなり、目の前の人の話がよく聞こえるようになりました。

比較から降りるのに、悟りは要りませんでした。座る場所を変えるだけで、かなりの部分が片づきました。

木立にかこまれた静かな池と、水面にひろがる波紋の線画

隠遁者の「聞き方」をまねる実践

「隠遁者」という章に、理想的な聞き手の姿が描かれています。人びとは彼に何でも打ち明ける。彼は相手の心の深みを詮索せず、目もじっと見つめず、森の中の古い池のように、最後まで黙って聞いている。そして忠告をしない。神も忠告をなさるわけではないから、と神父は書き添えます。

私は正直なところ、忠告をしたくなる方です。長く人に教える仕事をしてきたせいもあります。けれどこの章を読んでから、一つだけ決めごとを作りました。相手が話し終えてから、心の中で三つ数えるまで口を開かない、というものです。

これは、会いたくない人と会わなければならない場面でもよく効きます。以前は身構えて、何を言われても切り返せるよう準備していました。いまは「今日は池になろう」と決めて出かけます。相手を変えようとせず、ただ最後まで聞く。それだけで、帰り道の疲れ方がまるで違います。会いたくない人がいなくなったわけではありません。会ったあとに引きずる時間が、短くなっただけです。

喜びの材料を切らさない実践

「喜び」という章に、思いがけず実務的な分析があります。すべての喜びは外から心の中に入ってくる、と神父は言います。外から材料や種が入ってこなければ、誰も喜べない。そしてその材料は無数にある、と挙げていきます。大自然、体の運動、頭脳の勉強、学問、美術、文芸、家庭のあらゆる関係、愛、学校や社会。そのあとに一行、独りぼっちの人は喜びの材料がだんだん減っていくから寂しくなるのだ、と書かれています。

ここを読んで、私は自分の生活を材料の在庫として見直してみました。体の運動と大自然は温室と散歩でなんとかなっている。勉強も投資や読書で続いている。けれど「家庭のあらゆる関係」と「社会」の項目が、引退してから細っていました。

それで、二拠点生活の予定の立て方を変えました。日本にいる冬のあいだに、人と会う約束を先に暦へ入れてしまう。用事のついでではなく、会うために動く。

神父は同時に、喜びを唯一の希望の対象にすると快楽主義者になる、とも釘を刺しています。材料は仕入れる、けれど喜びそのものを目的にはしない。この二つを並べて書けるところが、この本の信頼できるところだと思います。

枝先が枯れながらも、なお数個の実をつけている老いたリンゴの木の線画

老いの重荷を、最後の手入れと考えてみる

本の終わりの方に、神父の生家の庭にあったリンゴの木の話が出てきます。少年のころは毎年たくさんの実をつけたのに、彼が高校生になる頃には枝の先が枯れ、葉もまばらになり、実の数も減っていった。それでも大変忠実な木で、味はむしろ強かった、と神父は書いています。

私は温室で、老いた株が最後につける小さなトマトの味を知っています。数は減り、形も揃わない。けれど濃い。あの木の話は、比喩ではなく実際に見ている光景でした。

そして「年をとるすべ」の章の終わりに、神父が友人からもらったという詩が置かれています。楽しい心で年をとること。働きたいけれど休むこと。しゃべりたいけれど黙ること。失望しそうなときに希望すること。若い人が元気に道を行くのを見ても、ねたまないこと。そして、老いの重荷は贈り物であり、古びた心にかける最後の磨きなのだ、と続きます。

 この世の最上のわざは何?  楽しい心で年をとり、  働きたいけれども休み、  しゃべりたいけれども黙り、  失望しそうなときに希望し、  従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

——ヘルマン・ホイヴェルス「最上のわざ」『人生の秋に ホイヴェルス随想選集』(春秋社)より

若い頃なら、この詩を負け惜しみだと感じたと思います。六十六歳のいまは、そうは読めません。老いを、失っていく過程ではなく、手入れの最終工程として書いているからです。研磨は、削られる側から見れば減っていくことにほかありません。それでも磨きなのだ、という視点は、若い頃の私には持ちようがありませんでした。

衰えに名前をつけて眺め、一日の型を決め、心のリズムで休み、末席に座り、池のように聞き、喜びの材料を仕入れる。どれも特別なことではありません。けれど人生の秋にいる者にとって、この本は、隣に座って一緒に日暮れを眺めてくれるような一冊でした。

今回ご紹介した本はこちらです。

ヘルマン・ホイヴェルス『人生の秋に ホイヴェルス随想選集』(春秋社)

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ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

俳句のことばと聖書の光を行き来しながら、東と西の精神性を静かに見つめたエッセイです。日本の詩情と聖書の世界が、思いがけないところで響き合う一冊です。これは私の義父の遺作です。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

大阪での両眼の白内障手術を、英国と日本の二拠点生活を送る66歳の視点から、率直に綴った体験記です。レンズ選びから費用、術後の見え方まで、実際に経験したことをそのまま記録しました。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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著者と、その時代について

ヘルマン・ホイヴェルス(一八九〇〜一九七七)は、ドイツ北西部ヴェストファーレンのドライエルワルデという小さな村に生まれました。本の冒頭に、羊飼いだった大伯父について歩いた四歳の日の思い出が出てきますが、あれは彼の原風景です。近所の羊が自然に群れに混ざり、夕方には持ち主の声を聞き分けて帰っていく。牧場で本を読み、黙って孫たちの靴下を編む大伯父。この静かな農村の記憶が、後年の彼の文章の温度をそのまま決めています。

一九〇九年にイエズス会に入会し、オランダで修練を積みました。転機は、司祭叙階後にハンブルク大学でカール・フローレンツの東洋ゼミナールに学んだことです。フローレンツは明治期に東京帝国大学で長く教え、帰国後にハンブルク大学初の日本学教授となった人で、その門下で彼は日本文学史に開眼します。日本へ渡る前に、すでに日本の言葉と文学への入口を通っていたわけです。

来日は一九二三年八月。その一週間後に関東大震災が起きています。彼が見た日本は、最初から瓦礫と復興の日本でした。震災で上智大学が休校になったため岡山へ赴任し、まもなく東京へ呼び戻される。その後、一九三七年から一九四〇年まで第二代上智大学学長を務め、戦中戦後をずっと東京で過ごし、一九四七年からは麹町の聖イグナチオ教会の主任司祭となります。在日五十四年。ドイツへ一度帰ったのは、来日から実に四十四年後のことでした。

この経歴が、彼の書くものを決めています。第一に、彼は「教えに来た人」でありながら、日本から学んだことを本国へ持ち帰った人でもありました。西洋思想が当然の前提としてきたもの――人生には価値がある、時間は進歩のためにある、喜びは苦しみに優る――が、日本の学者に接すると必ずしも自明ではないと気づいたシュプランゲル博士の話を、彼は感嘆とともに書き留めています。橋渡しをする人の目です。

第二に、彼は戦争と震災という激動を、大声で語らない人でした。本書の文章の多くは、ひばりの声、庭の胡桃、仔猫、教会の前で寝ている酔っぱらいといった、極端に小さな題材でできています。大きな時代を生きた人が、あえて小さなものだけを書いた。そこにこの本の静けさの正体があるように思います。

『人生の秋に』の初版は一九六九年、彼が七十九歳の年です。上智大学教授と教会の主任司祭を退いて執筆に専念しはじめた直後にあたります。つまりこの本は、引退した人が引退した場所から書いた本でもあるのです。晩年の彼は転倒による怪我のあと療養し、一九七七年六月、車椅子でミサにあずかっている最中に亡くなりました。八十六歳でした。「最後まで残る仕事は祈りだ」と書いた人の、それは書いたとおりの最期だったと思います。