ピーター・F・ドラッカー『プロフェッショナルの条件——いかに成果をあげ、成長するか』をきっかけに、66歳の私が実際にやってみている実践をまとめました。「マネジメントの発明者」と呼ばれる著者の代表的な一冊ですが、経営書というより、一人の人間が生涯をかけて「自分をどう律するか」「何によって憶えられたいか」を考え続けた記録として読みました。読み返すと、若い頃には素通りしていたであろう言葉が、いくつも引っかかります。
決まった航路を進むというより、そのつど舵を切り直しながら進んでいく様子をイメージして作成しています。
新しい役割に就くたびに、自分に問い直す実践
本の中でとくに印象に残ったのは、著者がまだ若く、ロンドンの投資銀行でシニアパートナーの補佐役についたときのエピソードです。それまで証券アナリストとして高く評価されていた著者は、補佐役という新しい役割に就いた後も、つい以前と同じ仕事の仕方を続けてしまいます。ある日、年配の創立者に呼び出され、「今の君に求められているのはアナリストの仕事ではない」と厳しく指摘されました。著者はこれを機に、新しい仕事を始めるたびに「この仕事で成果をあげるには、何をしなければならないか」を自分に問うことを習慣にしたといいます。
これは私にも身に覚えがあります。飲食業から製造管理、自分の会社を興すこと、鍼灸や漢方を学び直すこと、そして投資を学ぶことと、これまで何度か畑違いの役割に移ってきました。そのたびに、前の仕事のやり方をそのまま引きずってしまいそうになる瞬間があります。今は、新しいことを始めるとき——たとえばブログの記事を書くという「新しい仕事」に取り組むときにも——「これまでのやり方で押し通そうとしていないか」と一度立ち止まって自分に聞くようにしています。
強みより価値観を優先する実践
同じ章で、著者は自分自身の話も打ち明けています。ロンドンの投資銀行で順調に成果をあげ、強みを存分に発揮できていたにもかかわらず、著者はその仕事を辞めます。お金そのものに価値を見出せず、世の中に貢献しているという実感が持てなかったからでした。「優先すべきは強みではなく価値観である」という一文が、静かに、しかしはっきりと書かれています。
私自身、庭のバラを育てるときにこれを思い出すことがあります。薔薇のお世話をするときは、効率や収益とはまったく関係のない時間です。しかし、その手間のかかる時間こそが、自分にとって大切なものを再確認させてくれます。強みを発揮できることと、自分が大切にしたいこととは、必ずしも同じ方向を向くとは限らない——そのことを、庭仕事をしながら実感しています。
効率や成果のためではなく、自分が大切にしたいことのために時間を使う暮らしのイメージとして作成しています。
実際の時間の使い方を記録する実践
「時間を管理する」の章では、時間の使い方を記録することの重要性が繰り返し説かれています。記憶に頼って後から書き出すのではなく、ほぼリアルタイムで記録し、それを定期的に見直すことで、初めて自分が実際にどれだけの時間を何に使っているかが見えてくる、という指摘です。
これは、物忘れの頻度が増え、固有名詞がすぐに出てこなくなってきた今の私にとって、なおさら実感のこもる話です。以前は「だいたいこれくらいの時間でできるはずだ」という感覚で予定を組んでいましたが、今はブログの調べものや原稿の時間を簡単にメモしながら進めるようにしています。記録を取ってみると、自分が思っていたよりも調べものに時間をかけていることが多く、記憶ではなく記録に頼ることの大切さを、身をもって感じています。
一つのことに集中する実践
「もっとも重要なことに集中せよ」の章で著者は、集中とは「本当に重要なことは何か」という観点から自ら意思決定を行う強さのことだ、と書いています。あれもこれもと手を広げるのではなく、今やるべき一つを選び取る姿勢です。
私は東洋医学や代替医療にも関心があり、これまで光線療法も試しています。ただ、複数の療法を同時に試してしまうと、何が効いているのかがかえって分からなくなります。今は、一つの方法を一定期間試してから次に移る、というふうに順番を決めるようにしています。ブログの記事を書くときも同じで、一冊の本から得たヒントを丁寧に一つずつ形にしていくほうが、結局は多くのことを扱おうとするより深いものが書けると感じています。
複数の文化を生きる実践
「教育ある人間」の章では、これからの時代に必要とされる人間像として、世界市民でありながら、同時に自分の地域社会から栄養を受け取り、その地域文化に栄養を与え返す存在であることが語られています。著者は、産業革命が家族の形を大きく変えたことにも触れ、その影響をディケンズの小説を引きながら描いています。日本でも、高度経済成長期に単身赴任という形で家族が引き離された時期があり、働き方が家族のあり方を変えるという構図は、時代や国を超えて共通しているように思います。
英国と日本の両方に拠点を持つ暮らしを続けていると、この「二つの文化を生きる」という感覚が、抽象的な理想ではなく日々の実務だとよく分かります。日本の文学や俳句の味わいを英語圏の読者に伝えようとするとき、私は一語一句の意味よりも、その背後にある季節感や間合いをどう届けるかに悩みます。逆に、英国での暮らしの機微を日本語で書くときは、日本の読者にとって当たり前でない前提を、どこまで説明すべきか迷います。どちらの言語圏にも完全には属さない、その中間の場所に立ち続けることこそが、今の自分の役割なのだと感じています。
貢献を重視する実践
本の中では、成果があがらない大きな原因の一つとして、自分の権限や労力にばかり目を向け、組織や社会への貢献に目を向けていないことが挙げられています。著者は、まず「どのような貢献ができるか」を問うことから始めよ、と繰り返し説いています。
ブログの記事に対して、コメントや反応が返ってくることは多くありません。それでも、反応をもらうことを目的とせず、ただそこに記録があること自体が、誰かにとっての小さな灯りになればと思っています。貢献は、必ずしも双方向のやり取りでなくても成立するのだと、この本を読んであらためて思いました。
変わり続けることを、恐れずに
本の冒頭近くで紹介されている、著者お気に入りのヴェルディのエピソードも心に残りました。ヴェルディは晩年になってもなお新しい作品に挑み続け、その理由を「音楽家として、常に完全を求めて努力する義務がある」と語ったといいます。著者自身も、毎年年末に一年を振り返り、翌年の優先順位を決めるものの、その通りに一年を過ごせたことは一度もない、と正直に書いています。それでも、その姿勢を手放さない。
計画は思い通りにならず、組織も価値観も時代とともに移り変わっていく——これは仏教でいう諸行無常の考え方にも通じるものだと思います。ただ、66歳になった今は、その「思い通りにならなさ」をかつてほど苦しいものとは感じません。若い頃は、計画が崩れることを失敗のように感じていましたが、今は、崩れること自体が当たり前の前提になっている分、次の一手を考えることに気持ちを向けやすくなった気がしています。強みではなく価値観を、結果ではなく貢献を、そして完成ではなく努力を続けること——この本が静かに教えてくれたのは、そういうことだったように思います。
今回ご紹介した本はこちらです。
ピーター・F・ドラッカー『プロフェッショナルの条件——いかに成果をあげ、成長するか』(ダイヤモンド社)
(Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)
ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』
自分をどう律し、何によって憶えられたいかを問い続けたドラッカーの姿勢は、俳句の言葉と聖書の光を行き来しながら自らの内面を見つめ続けた本作とも重なるものがあります。これは私の義父の遺作です。
Amazonで見る『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』
新しい局面のたびに自分に問い直し、変わり続けることを恐れない——白内障手術という予期せぬ出来事に向き合った、率直な体験記です。
Amazonで見るドラッカーという人、その時代
著者が生まれ育った、二度の大戦をはさむ激動期のヨーロッパの雰囲気をイメージして作成しています。
ピーター・F・ドラッカーは1909年、オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンに生まれました。彼が育った時代は、長く続いた帝国が第一次世界大戦で崩壊し、それまで当然とされていた社会秩序や権威が次々と失われていった時期にあたります。ドラッカー自身、幼い頃から知識人や実業家が集まる家庭環境の中で育ち、法律を学んだのちドイツのフランクフルトで新聞記者として働き始めました。この記者時代の経験——事実を観察し、専門外の分野についても取材を通じて学び続ける姿勢——は、後年の彼の仕事のスタイルに強く影響を与えたといわれています。
1933年、ナチスが政権を握ると、ドラッカーはドイツを離れてロンドンへ移り、保険会社や投資銀行で働きながら経済学者ケインズの講義を受けるなどして過ごしました。1937年にはアメリカへ渡り、ジャーナリスト、コンサルタント、大学教授として活動を広げていきます。全体主義の台頭と二つの世界大戦を若い時期に目の当たりにした経験は、「人間の自由と尊厳を守りながら機能する社会をどう作るか」という関心の根っこにあったのではないかと思われます。企業という組織を、単なる利益追求の装置としてではなく、社会に秩序と個人の居場所を与える仕組みとして捉えたドラッカーの視点は、この時代背景と切り離しては理解しにくいものです。
人物としては、特定の学問分野に閉じこもらず、経済学、政治学、社会学、歴史、さらには日本美術まで、幅広い関心を生涯持ち続けたことで知られています。90歳を超えてなお執筆と講演を続け、本書の中でも自らの経験を率直に、時にユーモアを交えて語っている点に、彼の実践的で謙虚な知的姿勢がよく表れているように思います。