ミヒャエル・エンデ『エンデの遺言 根源からお金を問う』をきっかけに、66歳の私が実際に考え、やってみていることをまとめました。これまでこのブログでは物語や随筆を中心に取り上げてきましたが、今回は少し毛色の違う一冊です。『モモ』や『はてしない物語』の作者として知られるドイツの児童文学者エンデが、亡くなる前年に語り遺した「お金」についての長いインタビューをもとにした本で、長く株式や不動産に投資をしてきた自分の来し方を振り返る時期に、この本と出会いました。
お金と自然が、静かに釣り合おうとしている情景をイメージして作成しました。
「利子を追いかける」生き方をいったん降りてみる実践
エンデは、亡くなる前の最後のインタビューで、現代の金融システムの本質についてこう語っています。
お金が常に成長を強制する存在であることです。 ――同書より
2015年に株式や不動産への投資をはじめてから、私はずっと「増える」ことを当たり前の目標にしてきました。利回りを比べ、複利のグラフを眺め、数字が右肩上がりであることに安心してきたように思います。しかしこの一文を読んで、その「安心」自体が、お金という道具の性質にそのまま乗せられていただけなのではないか、と考えさせられました。今は、投資の判断をするときに「これは本当に必要な成長なのか、それとも増やすこと自体が目的になっていないか」と、一度立ち止まって自分に問うようにしています。
「老化するお金」という発想と、日本の無常観を重ねる実践
本の中でとくに印象に残ったのは、経済学者ヴェルナー・オンケンに宛てたエンデの手紙の一節です。
老化するお金という概念が私の本『モモ』の背景にあることに気づいたのはあなたが最初でした。 ――同書より
お金は時間とともに際限なく増え続けるのではなく、生き物のように老いて、やがて役目を終えていく――そう考えると、日本人にはなじみ深い「諸行無常」の感覚とどこか重なる気がします。鴨長明が「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と書いたように、留まり続けるものなど本来ないのだという前提に立てば、お金だけが例外的に「永遠に増え続ける」ことを求められている今の状態のほうが、むしろ不自然なのかもしれません。英国の友人たちと経済の話をすると、成長や複利を疑わない姿勢は共通していますが、日本語にはもともと「無常」を語る豊かな語彙があることに、この本を読んであらためて気づかされました。
経済生活を貫く「友愛」という物差しを持つ実践
エンデは、お金をめぐる議論の中で、こんな言葉を残しています。
経済生活は本質的に社会連帯的なものなのです。 ――同書より
英国と日本の二拠点生活をしていると、経済活動というものが、数字のやりとりである以前に、人と人との関わりそのものなのだと実感する場面が多くあります。英国の田舎町では、近所の人が余った野菜を無償で分けてくれたり、逆にこちらが分けたりすることが日常的にあります。数字には表れないこうした支え合いこそが、本来の経済の姿だったのかもしれません。人が生まれてきた意味を大げさに語ることは私にはできませんが、少なくとも「誰かと支え合うために、私たちは経済という営みを持っている」というくらいのことは、この歳になって、ようやく実感として言えるようになった気がします。
「ちょうどぴったりの本」との出会いを大切にする実践
エンデは、自著についてこんな問いかけをしています。
あなたが人生の岐路で悩んでいるとき、ちょうどぴったりの瞬間に、ちょうどぴったりの本を手にとり、ちょうどぴったりの答えを見つけるならば、あなたはそれを偶然だと思いますか。 ――同書より
この一文を読んで、今回この本を手にとったこと自体、決して偶然ではなかったように思えてきました。集中力や記憶力が昔ほど続かなくなってきたと感じることが増えた今だからこそ、こうしてブログに読書の記録を残すことに、以前より大きな意味を感じています。読んだ内容をそのまま覚えていられなくても、文章として書き残しておけば、いつか読み返したときに、また新しい気づきをもらえるかもしれません。書くという行為そのものが、私にとって人生を編集し続ける手段になっているのだと、この本を読んであらためて思いました。
せわしない時計の時間と、ゆっくり咲くバラの時間の対比をイメージして作成しました。
「灰色の男たち」に時間を奪われないための、庭の実践
エンデの代表作『モモ』について、本書はこう説明しています。
時間を節約して時間貯蓄銀行に時間を預ければ、利子が利子を生んで、人生の何十倍もの時間をもつことができるという、灰色の男たちの誘惑 ――同書より
効率よく時間を使うことばかり考えていると、かえって時間そのものの豊かさを見失ってしまう――これは投資家としての来し方を持つ私にも、耳の痛い指摘です。最近は、庭のバラの世話をする時間を、あえて「効率」から切り離すようにしています。10種類以上育てている英国バラは、剪定や誘引に手間がかかり、思うように花が咲くまで何年もかかることも珍しくありません。それでも、蕾がふくらんでいく様子を毎日眺める時間は、何かを増やすための時間ではなく、ただそこにいるための時間です。灰色の男たちに時間を差し出さない、小さな抵抗のようなものだと感じています。
東洋医学の「積み重ねる時間」に、お金とは違う豊かさを学ぶ実践
本書の終盤で、エンデは希望をこめてこう述べています。
現代の金融システムはたかだか数百年で人がつくったシステムだから、その限界や不合理に気づけば変えることもできる ――同書より
数百年で作られた仕組みでさえ変えられるのなら、一人の身体の中で何十年もかけて積み重ねてきた習慣も、少しずつ変えていけるはずだと思わせてくれる言葉でした。英国で鍼灸と漢方を学んでいた頃、千年灸のように、一度に大きな効果を求めず、小さな刺激を長く積み重ねることの意味を教わりました。お金の複利が「増やすこと」を急かすのに対し、身体を整える東洋医学の時間は、急がず、しかし着実に積み重なっていきます。健康寿命というものも、こうした「急がない複利」のような時間の使い方の先にあるのではないかと、この本を読んで思うようになりました。
むすび:紙幣に書き込むべき言葉
本書の最後で、著者はこう問いかけています。
お金を手にとり、そこに何が書かれているのか見た経験はありますか。……そこに何の言葉も書かれていないのなら、ヴィジョンを書き込むのはあなたです。 ――同書より
「お金は足りるのだろうか」という不安は、60代になった今も、正直なところ完全には消えていません。それでも、この本を読んでからは、その不安の中身を、ただ数字の問題としてではなく、「自分はお金にどんな意味を持たせたいのか」という問いとして持ち直せるようになった気がします。双方向でなくても、片道の言葉が誰かの支えになることがある――そう信じて、こうして記録を残しています。エンデが遺したのは、答えではなく問いでした。66歳の私にできるのは、その問いを自分の生活の中で、小さく引き受け続けることくらいなのかもしれません。
今回ご紹介した本はこちらです。
河邑厚徳+グループ現代『エンデの遺言 根源からお金を問う』(NHK出版)
(Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)
ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』
お金や時間の物差しを一度手放して静けさを見つめ直す本書の内容は、俳句の言葉と聖書の光を行き来しながら「今」を見つめ続けた本作にも通じるところがあります。これは私の義父の遺作です。
Amazonで見る禁じられても描き続けた父のアトリエと、少年が夜の森を歩いた記憶をイメージして作成しました。
ミヒャエル・エンデが生きた時代
エンデは1929年、ドイツ・バイエルン州のガルミッシュで生まれました。父はシュールレアリスムの画家、エドガー・エンデです。エンデが小学校に上がる頃にナチスが台頭し、父は「退廃芸術家」の烙印を押されて作品発表を禁じられてしまいます。絵を描くことを許されなくなった父は、それでもアトリエにこもり、心に浮かぶイメージを小さなカードにスケッチし続けました。幼いエンデは、そんな父の姿から、目に見える現実の奥にある「別の実在」を感じ取る感受性と、何気ないものに驚く心を受け継いだといわれています。1945年、15歳のエンデのもとに召集令状が届きましたが、彼はそれを破り捨て、疎開先の母のもとまで夜の森を80キロメートル歩いて逃げ延び、その後は反ナチスのレジスタンス組織の伝令として自転車で街を駆け回りました。少年期に、国家や制度が個人の生命よりも「大義」や「成長」を優先する姿を、身をもって経験したことになります。戦後、俳優や劇作家を経て児童文学作家となったエンデが、生涯を通じて「成長を強制するシステム」への違和感を持ち続けたのは、こうした原体験と無縁ではなかったのだろうと思います。1995年、65歳のとき、エンデは胃がんのため世を去りました。経済学者や実業家への取材を重ね、いつか「お金」をテーマにした本を書こうとしていたその構想は実現しないまま、1994年に語った1本のインタビューテープだけが遺され、この本になりました。