林学者であり東京帝国大学教授でもあった本多静六の『人生と財産』をきっかけに、66歳の私が実際にやってみていることを体験談としてまとめました。「本多式四分の一貯金法」で若いうちに莫大な財産を築きながら、定年退官と同時にそのほとんどを寄付してしまったという逸話は以前から耳にしていましたが、実際に本人の言葉で読んでみると、お金の話にとどまらない、老いや幸福についての率直な考えが随所にありました。八十五歳のときに書かれた自序には人生即努力、努力即幸福という言葉があり、六十六歳になった今の私に、静かに、しかし力強く語りかけてくる一冊でした。

貯金箱と若い苗木のイラスト

「四分の一」を年金生活に翻訳してみる実践

本書でもっとも有名なのが、通常の収入が入った時点でまず四分の一を天引きして貯金し、原稿料や賞与などの臨時収入は全額を貯金に回すという「本多式四分の一貯金法」です。著者自身、月給の一部を最初からなかったものとして生活を組み立てることで、無理なく資産を築いていったと述べています。

私にはもう「月給」はありませんが、年金や配当という形の収入があります。そこでこの考え方を借りて、想定外に入ってくるお金――為替差益や配当の増額分など――は、使う前にまず「なかったもの」として長期の口座に移す、という小さなルールを作りました。数字を細かく管理するのが得意ではない私にとって、これは家計簿をつけるよりずっと続けやすい方法です。

「人生即努力、努力即幸福」を、日々の小さな作業に当てはめる実践

自序で著者は、八十五歳になっても肉体的にも精神的にも衰えを感じないと言い切り、その理由を「人生即努力・努力即幸福」という新しい人生観に生きているからだと説明しています。努力は幸福になるための手段ではなく、努力そのものがすでに幸福だという考え方です。

これを読んでから、私は温室のトマトに水をやる、メグの爪を切る、ブログの記事を書く前に少し丁寧に調べものをする、といった何でもない作業のひとつひとつを、「結果を出すための手段」ではなく「それ自体が今日の幸福」として扱うようにしています。アクセス数や反応を気にする代わりに、その作業をしている数分間そのものに満足できているかを、自分に聞くようにしています。

楽老期を「ゼロにする」のではなく「減らしながら移行する」実践

本書の終盤、著者は「楽老期」について、それまでの責任ある仕事を急にやめてしまうのは心身に良くなく、少しずつ仕事量を減らしながら、心身に無理のない軽い農業や園芸のような仕事に移っていくのがよい、と書いています。

私は昨年、六十五歳を機にリタイアしましたが、たしかに「何もしない生活」にはすぐに違和感を覚えました。今は、午前中は執筆や調べもの、午後は温室と庭の世話、夕方以降は読書や英国と日本を行き来する暮らしの雑務、というように、一日をゆるやかな三つのブロックに分けています。仕事をゼロにするのではなく、役割を少しずつ組み替えていく感覚が、著者の言う「移行」に近いのかもしれません。

温室と菜園、猫のいる庭のイラスト

「八十歳の中学生」に倣って、新しい言語を学ぶ実践

著者はドイツ語には堪能でしたが、英語だけは若い頃に落ち着いて学ぶ機会がなく、八十歳を過ぎてからラジオ講座で独習を始め、自らを「八十の中学生」と呼んでいます。決まった時間にラジオの前に座り、少しずつ新しい言語を身につけていく姿には、年齢を言い訳にしない実直さを感じました。

私にとっての「八十の中学生」は、二〇二六年から始めたClaudeとの対話です。プログラミングも生成AIも縁のなかった人生でしたが、著者が英語のラジオ講座に向き合ったのと同じ気持ちで、新しい道具を少しずつ試すようにしています。うまくいかない日があっても、それは失敗ではなく、まだ中学一年生だからだと考えることにしています。

「何を残すか」を、寄付ではなく記録という形で考える実践

著者は退官後、財産のほとんどを寄付し、その基金は数十年にわたって千三百人を超える学生の学費を支えました。個人の財産を社会に還元するという発想の大きさに、まず驚かされます。

私にはそれほどの財産はありませんが、この本を読んで、自分にも自分なりの「何を残すか」があってよいのだと思うようになりました。それが、このブログに正直な言葉で残している実践記録です。統計や専門書には載らない、六十代の一人の生活者の体験――お金は足りるのか、という慢性的な不安、「毎日が日曜日」の中で生活リズムを見失う、それでも今日が楽しいと思える瞬間――を書き残すことも、ささやかながら「世のため人のため」の一つの形だと考えるようになりました。

老いの「あるある」を、自分を戒める鏡にする実践

本書には、年を取ると誰もが陥りやすい癖――同じ話を何度も繰り返す、人の話を最後まで聞かない、新しいことを学ばずに昔の話ばかりする、といった老いの「あるある」がユーモラスに、しかし手厳しく並べられている箇所があります。読みながら、思わず苦笑いしてしまいました。

これを読んでから、私はときどき自分にこの短いリストを当てはめてみるようにしています。誰かと話していて、同じ話を二度していないか。新しいものを頭ごなしに否定していないか。老いを隠すのではなく、こうした癖を笑いとともに自覚しておくことが、老境を気持ちよく過ごすための小さな備えになると感じています。

努力そのものを幸福とみなして

本書の自序を書いたとき、著者はすでに八十五歳でした。それでも「衰えを感じない」と言い切れたのは、財産があったからというより、努力そのものを幸福として生きる姿勢があったからなのだと思います。四分の一を貯める、努力を幸福とみなす、仕事を少しずつ移行する、新しい言語に挑む、記録を残す、老いの癖を笑って自覚する――どれも特別なことではありませんが、六十六歳の今、あらためて意識してみたい実践です。私自身はまだ八十五歳までの道のりの途中ですが、この本が示してくれた姿勢を、今日からの小さな習慣として続けていきたいと思っています。

今回ご紹介した本はこちらです。

本多静六『人生と財産』

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ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

俳句のことばと聖書の光を行き来しながら、東と西の精神性を静かに見つめたエッセイです。日本の詩情と聖書の世界が、思いがけないところで響き合う一冊です。これは私の義父の遺作です。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

大阪での両眼の白内障手術を、英国と日本の二拠点生活を送る66歳の視点から、率直に綴った体験記です。レンズ選びから費用、術後の見え方まで、実際に経験したことをそのまま記録しました。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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鳥居と三段階の森のイラスト

本多静六という人 ― 生きた時代と人物像

本多静六は一八六六年、幕末から明治へと世の中が大きく転換する時期に生まれました。若くして本多家の婿養子となり、一八九〇年、ようやく叶った念願のドイツ留学へと旅立ちます。費用を切り詰めるため三等船室で横浜を出港した際、一等・二等の客が受ける厚遇と三等客への扱いの差を目の当たりにし、「生涯お金には困らぬようにしたい」と強く心に誓ったといいます。留学中には養父の銀行が破産して送金が止まるという苦難にも見舞われ、この経験が後の徹底した貯蓄哲学の土台になったと本人が振り返っています。ミュンヘン大学では経済学者ブレンターノに師事し、ドイツの林学と実際的な経済思考を吸収しました。

帰国後は日本の近代林学・造園学の基礎を築き、日比谷公園の設計や、なかでも明治神宮の森の設計は代表的な仕事です。百年、二百年先を見据え、松から杉・檜へ、さらに常緑広葉樹へと林相が移り変わっていく三段階の植生遷移計画を立て、その予測は今日、ほぼそのとおりに実現しています。一九二七年、六十歳で定年退官すると、蓄えた財産のほとんどを寄付して奨学財団を設立し、以後は新聞・雑誌の身の上相談に応じるなど、市井の人々の悩みに向き合う後半生を送りました。

静六が最晩年を過ごした昭和二十年代は、日本が戦争の荒廃から立ち直ろうとしていた時期でもあります。本書の自序は、その一九五〇年、八十五歳のときに書かれたもので、多くの日本人が経済的などん底からの再出発を強いられていた時代だからこそ、そこに滲む力強い調子には生きた説得力があったのでしょう。一九五二年、静六は八十六歳でその生涯を閉じました。科学者としての厳密さと、質素な暮らしを自らに課す実直さ、そして財を独り占めせず社会に還元しようとする気前のよさが同居していたことが、本多静六という人物の際立った特徴だと感じます。