保阪正康さんの『安楽死と尊厳死 医療の中の生と死』(講談社現代新書)をきっかけに、66歳の私が実際にやってみている実践を体験談としてまとめました。正直に言うと、少し身構えながら手に取った本です。国立大学の医学部に入学しながら、一身上の都合で中退した私にとって、「医療の中の生と死」というテーマは、遠い昔に自分が選ばなかった道の続きを見せられるような感覚があります。読み終えて感じたのは、この本が「死に方」だけを論じた本ではなく、むしろ「では、今日をどう生きるか」を問いかけてくる本だった、ということです。
このイラストは、生と死を急がず静かに見つめる時間のイメージとして作成したものです。
実践①「安楽死」と「尊厳死」、ことばの違いを自分の言葉で説明できるようにする
本書を読んで恥ずかしながら気づいたのは、私自身、この二つの言葉を長年なんとなく同じようなものとして扱っていたことです。本書は、積極的に死期を早める行為と、過剰な延命を控えて自然な経過に委ねる考え方とは、本来まったく別の議論であることを、丁寧に腑分けしていきます。
医学部にいた5年間、西洋医学の基礎は学びましたが、正直この二つの違いを臨床の言葉として突き詰めて考えたことはありませんでした。今は、ニュースで関連する話題が出るたびに、「これはどちらの話をしているのか」と一度自分に問い直すようにしています。ことばを正確に扱うことは、いざというときに家族や医師と誤解なく話すための、地味だけれど大切な準備だと感じています。
実践②温室とレイズドベッドから、命の巡りを考える実践
本の中で著者が繰り返し立ち返るのは、「生命とは何か」という、答えのない問いです。これを読みながら、私は毎日世話をしている庭のことを思い出していました。
英国の家では、裏庭でガーデニングをしています。種をまき、芽が出て、実をつけ、枯れて、堆肥になり、また次の年の土をつくる。この巡りを毎年繰り返し見ていると、「命はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに、頭で答えを出そうとするより先に、体で納得している感覚があります。
このイラストは、温室とレイズドベッドで育つ作物やバラを通じて、命が芽吹き、実り、土に還っていく巡りをイメージして作成したものです。
アスパラガスは植えてから収穫まで数年かかりますし、バラは毎年剪定して初めて美しく咲きます。健康寿命を延ばすということも、これと似ていて、一年で結果が出るものではなく、何年もかけて育てていく作業なのだと、庭仕事をしながら思うようになりました。
実践③「今日という日」を、少し軽くする実践
本書には、統計や制度の話だけでなく、実際に終末期を生きた人たちの、日々の小さな選択の記録も出てきます。それを読んで、私が意識するようになったのは、「今日という日」をわざと軽く扱う、という小さな工夫です。
最近、物忘れが増え、固有名詞がすぐに出てこなくなりました。以前ならそのことに苛立っていたと思いますが、今は「今日出てこなかった名前は、明日思い出せばいい」くらいの気持ちで受け流すようにしています。メグ(我が家の猫)を撫でながら庭を眺める数分間、温室の扉を開けて野菜の様子を見る数分間。そうした「わざわざ立ち止まる時間」を一日に一つ作ることが、私にとっての「今を生きる」の実践になっています。
実践④家族と「もしものとき」を話しておく実践
本書で繰り返し出てくるのが、事前指示書(リビング・ウィル)や、自分の意思をあらかじめ言葉にしておくことの大切さです。これは死そのものの話というより、「自分の希望を、元気なうちに、大切な人に伝えておく」という、きわめて実務的な話だと私は受け取りました。
「もしものときに、どこまで治療を望むか」という話は、家族との対話が必要な領域です。今は、妻とときどきこうした話を、深刻になりすぎない範囲で、雑談のついでのように交わすようにしています。お金の心配を減らす準備と、医療についての希望を伝えておく準備は、どちらも「家族に迷惑をかけたくない」という気持ちを、不安のままにせず、具体的な準備に変えていく作業なのだと感じています。
実践⑤人間関係において、無理をしないでいい距離を取る実践
本書の主題からは少し離れますが、著者が「自分の生をどう引き受けるか」について書いている箇所を読みながら、私は退職後の人間関係についても考えさせられました。現役時代は、仕事上どうしても会わなければならない相手がいましたが、リタイアした今、その必要性の多くはなくなっています。
それでも、昔からの付き合いで、会うと少し疲れてしまう相手というのは残るものです。今は、そうした相手との約束は、無理に増やさず、会う頻度や時間を自分の裁量で決めるようにしています。退職後、社会とのつながりが薄れていく寂しさを感じる一方で、すべてのつながりを維持しようと頑張りすぎないことも、66歳からの人間関係の整理には必要だと思うようになりました。
実践⑥東洋医学と代替医療を、老いの伴走者にする実践
本書は西洋医学の枠組みで書かれた本ですが、読みながら私は、自分が長年学んできた鍼灸・漢方やホメオパシーのことも考えていました。これらは「死を先延ばしにする」ための医療ではなく、「今の体調を、できるだけ心地よく保つ」ための医療だと、私は理解しています。
千年灸で冷えを和らげたり、光線療法で凝りを緩めたり、体質に合わせて漢方を選んだり。西洋医学が「治療」を担当する領域だとすれば、これらは「日々の調子を整える」役割を担ってくれていると感じています。安楽死や尊厳死という重いテーマを考えるときこそ、日々の小さな不調を放置せず、東洋医学的なケアで穏やかに整えておくことが、結果として「今をよく生きる」ことにつながるのだと、この本を読みながらあらためて思いました。
生きることの「善さ」について
本書を読み終えて、私は「善とは何か」「幸せとは何か」という問いに、明確な答えを持てたわけではありません。ただ、はっきりと感じたことが一つあります。それは、死をどう迎えるかを考えることは、結局のところ「今日をどう生きるか」を考えることと同じだ、ということです。
今回ご紹介した本はこちらです。
保阪正康『安楽死と尊厳死 医療の中の生と死』(講談社現代新書)
(本サイトはAmazon.co.jpを宣伝しリンクすることによって紹介料を獲得できるAmazonアソシエイト・プログラムの参加者です)
ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』
俳句のことばと聖書の光を行き来しながら、東と西の精神性を静かに見つめたエッセイです。日本の詩情と聖書の世界が、思いがけないところで響き合う一冊です。これは私の義父の遺作です。
Amazonで見る保阪正康という人と、その時代
このイラストは、保阪正康さんが生きてこられた昭和という時代の空気感をイメージして作成したものです。
保阪正康さんは1939年、北海道生まれのノンフィクション作家・評論家です。奇しくも私も同じ北海道の生まれで、勝手ながら親近感を覚えながら読みました。保阪さんは、幼少期から少年期にかけて戦争と敗戦、そして戦後復興という激動の時代を体験しており、その原体験が、生涯にわたるライフワークである「昭和史」研究、とりわけ戦争体験者への聞き取りや、太平洋戦争をめぐる膨大な取材につながっています。
大量の死と隣り合わせだった昭和という時代を、記録者として見つめ続けてきたことが、本書における「安楽死」「尊厳死」というテーマへの向き合い方にも、静かに影響しているように感じます。特定の立場を声高に主張するのではなく、事実と証言を積み重ねながら、読者自身に判断を委ねる筆致は、保阪さんが長年、戦争体験者一人ひとりの証言に耳を傾け続けてきた姿勢そのものだと思います。記憶が薄れていくことを恐れず、むしろ記録することでその記憶を次の世代につなごうとする保阪さんの仕事の姿勢は、物忘れが増えてきた66歳の私にとっても、「書き残すことの意味」を静かに励ましてくれるものでした。