リズ・ブルボー『五つの傷 心の痛みをとりのぞき本当の自分になるために』をきっかけに、66歳の私が気づいたこと、実際にやってみていることをまとめました。以前このブログでは、ノーマン・カズンズの『続・笑いと治癒力』から、63歳から新しい一歩を踏み出す勇気について書きました。今回手に取ったのは、まったく毛色の違う一冊で、統計や医師との対話ではなく、「拒絶」「見捨て」「侮辱」「裏切り」「不正」という五つの心の傷と、それぞれが生み出す「仮面」について書かれた本でした。著者は、本当の自分に還ることができれば、愛・幸福・調和・平和・健康を取り戻せると説いています。自分がどんな仮面をかぶって生きてきたのかを、あらためて考えさせられる読書になりました。

仮面をそっと外し、その下から新芽がのぞくイラスト

仮面をそっと外すと、その下から新しい芽が顔をのぞかせている――そんなイメージで描いてもらいました。

「逃げずに、育つのを待つ」実践

本の中で最初に紹介される傷は「拒絶」で、それが強い人は「逃避する人」という仮面をかぶり、居心地の悪い状況からすぐに立ち去ろうとする、と書かれていました。読みながら、自分にも思い当たる節がありました。新しいことを始めるとき、うまくいかない気配を感じた瞬間に、理由をつけて手放してしまう癖が、私にもあります。

ちょうど今、庭でアスパラガスを育てています。アスパラガスは植えてから収穫できるまで数年かかる作物で、最初の年に細い芽が出ても、株を弱らせないためにあえて摘み取らずに我慢しなければなりません。この「今は収穫せず、育つのを待つ」という時間が、私には「逃げずにいる」練習のように感じられます。ブログの記事も、AIという新しい道具の使い方も、すぐに結果が出なくても、途中で投げ出さずに育てていくものだと、あらためて思っています。健康寿命というのも、結局は同じことなのかもしれません。すぐに効果が見えなくても、逃げずに続けた小さな習慣の積み重ねなのだと思います。

Raised Bedから顔を出したばかりの細いアスパラガスの芽のイラスト

Raised Bedから顔を出したばかりの細いアスパラガスの芽――焦らず育つのを待つ時間をイメージしました。

「一人でも満ちている」実践

「見捨て」の傷を持つ人は「依存する人」という仮面をかぶり、誰かに常にそばにいてもらわないと不安になる、と本には書かれていました。65歳でリタイアしてからは、それまで仕事で離れていた時間の分だけ、妻と過ごす時間が一気に増えました。同世代の友人と話していても、「配偶者との時間が急に増えて、関係を築き直す必要に迫られている」という声をよく聞きます。私自身も例外ではありません。

この本を読んでから、意識して「一人の時間」を持つようにしています。温室で野菜の世話をする時間や、投資について調べものをする時間は、誰かにいてほしいからではなく、自分がそうしたいからしていることです。依存するのではなく、一人でいても満ちている自分を確認する時間を持つこと。それが、今の関係を健やかに保つための、私なりの実践です。楽しくて夢中になれることを自分の中にいくつか持っておくと、一人の時間そのものがわくわくするものに変わる、という発見でもありました。

「体を責めずに、声を聞く」実践

三つ目の傷「侮辱」による仮面は「マゾヒスト」、つまり自分を後回しにし、自分の弱さを恥じる傾向として説明されていました。正直に言うと、自分自身の体の衰えに対しては、今でも「情けない」と感じてしまうことがあります。庭仕事で以前ほど動けなかったとき、真っ先に浮かぶのは労わりではなく、自分への苛立ちでした。

最近は、体の不調や疲れを、責める対象ではなく「メッセージ」として受け止める練習をしています。ホメオパシーの考え方に、症状はその人に何かを伝えようとしているサインだ、というものがあります。すべてを鵜呑みにするわけではありませんが、疲れを感じたときに「なぜだろう」と一呼吸置いて自分に問いかけるようになったのは、この視点のおかげです。

「委ねる」実践

「裏切り」の傷を持つ人がかぶる「操作する人」の仮面は、すべてを自分の計画通りに進めたがり、人に主導権を渡すことを怖がる、という説明が印象的でした。投資を始めてから10年ほどになりますが、正直、初期の頃は値動きを一日に何度も確認し、自分でコントロールしていないと落ち着かない時期がありました。

英国と日本を行き来する生活の実務でも、この傾向は顔を出します。日本では、細部まで自分で確認しなくても「お任せします」という信頼関係で物事が動く場面が多いのに対し、英国では契約書と手続きをこちらから逐一確認しないと安心できない、と感じる場面が今でもあります。どちらが正しいということではなく、「委ねても大丈夫」という感覚を少しずつ育てることが、心配という感情を減らす近道なのだと、この章を読んで思い直しました。

「仮面」と「建前」の実践

五つ目の「不正」の傷がつくる「頑固な人」の仮面は、感情を表に出さず、完璧であろうと自分を律しすぎる傾向として描かれていました。読みながら、日本語の「建前」という言葉を思い出しました。本音を隠し、その場にふさわしい顔を見せるという意味では、この本の言う「仮面」と重なる部分があります。ただ、英国での生活を経て感じるのは、「建前」が悪いものとは限らないということです。場を穏やかに保つための知恵として機能している面も、確かにあるからです。

このブログを書くときも、以前は「読んでもらえているだろうか」「反応がないと意味がないのでは」と、どこかで正しい評価を求める頑固さがありました。記憶力は若い頃より確かに衰えてきていますが、だからこそ、書き残しておくこと自体に意味があるのだと、最近は思うようになりました。反応をもらうことを目的とせず、ただそこに記録があること自体が、誰かにとっての小さな灯りになればと思っています。仮面を外すというのは、何もかもをさらけ出すことではなく、自分を縛っていた「こうあるべき」を一つずつ手放していくことなのだと、この章から学びました。

静かな水平線で重なり合う、日本の庭とイギリスの田園風景のイラスト

静かな水平線で重なり合う二つの風景――二つの拠点、二つの「顔」の間にある空間をイメージしました。

仮面を脱ぐ練習は、今を生きる練習でもある

本の第一章には、私たちは生まれる前に、経験したい試練をある程度自分で選んでこの世に生まれてくる、という考え方が紹介されていました。真偽を確かめる術はありませんが、これまでの傷や癖のひとつひとつにも意味があったのかもしれない、と思えるようになったのは確かです。

仏教には「五蘊盛苦」という言葉があります。心と体を構成する五つの要素への執着そのものが苦しみを生む、という考え方です。この本でいう「仮面」も、傷ついた自分を守るために育ててきた、いわば「私はこういう人間だ」という執着の形だったのかもしれません。仮面を外すというのは、その執着を少しずつ緩めていく作業なのだと思います。

第七章に出てくる「愛の法則」という考え方も心に残りました。他人を許せない気持ちの奥には、たいてい自分自身を許せていないことがある、という指摘です。「善さ」というと、他人に親切にすることばかり考えてしまいますが、まず自分自身の傷や失敗を許すことも、同じくらい大切な「善さ」の形なのだと、この章から教わりました。

若い頃には、傷や弱さは隠すべきものだと思っていました。今は、その傷があったからこそ育った優しさや粘り強さもある、と両方の側面から自分を見られるようになった気がしています。数字に振り回されないこと、体の声を聞くこと、一人でも満ちていること、委ねること、仮面を手放すこと――どれも特別なことではありませんが、「本当の自分」で今日という日を、楽しみながら生きるための、大切な練習だと感じています。豊かな老後というのは、遠くにある目標ではなく、こうした小さな練習の積み重ねの先にあるものなのだと、この本を読み終えて思っています。

今回ご紹介した本はこちらです。

リズ・ブルボー『五つの傷 心の痛みをとりのぞき本当の自分になるために』(ハート出版)

(本サイトはAmazon.co.jpを宣伝しリンクすることによって紹介料を獲得できるAmazonアソシエイト・プログラムの参加者です)

ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

俳句のことばと聖書の光を行き来しながら、東と西の精神性を静かに見つめたエッセイです。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

仮面を外し本当の自分に還る話の延長として、66歳で白内障手術と向き合った日々を率直に綴った体験記です。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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リズ・ブルボーという人、その時代

リズ・ブルボー(Lise Bourbeau)は1941年、カナダのケベック州に生まれました。1966年からセールスの仕事を始め、北米で成績トップの管理職になるほどの実績を残した後、その成功体験を人々と分かち合うためにワークショップを開催するようになったのが、彼女のセラピスト・著述家としての出発点です。最初の著書『からだの声を聞きなさい』はカナダ本国でベストセラーとなり、以後、肉体・感情・精神・スピリチュアルという四つのレベルから心身の不調を読み解く彼女の方法は、世界20カ国以上に広がっていきました。彼女の思想の根底には、体はいわば心の状態を映し出す鏡であり、不調や症状はそれ自体がメッセージだ、という一貫した見方があります。今回取り上げた『五つの傷』も、単独の理論というより、この「からだの声を聞く」という彼女のライフワークの延長線上にある一冊です。

彼女が活動を始めた1970年代のケベックは、カトリック教会が社会の隅々まで影響力を持っていた時代からの転換期、いわゆる「静かな革命」の余波の中にありました。宗教的な権威から距離を置き、個人の内面や心理に目を向ける北米のニューエイジ的な自己啓発の潮流とも重なる時代背景です。セールスの現場で成果を出し続けてきた実務家としての視点と、その裏で自身が抱えていたであろう傷や仮面への気づきが結びついたことが、抽象的な精神論ではなく、日常の行動パターンから傷を見分けるという、この本の具体的で実践的な語り口につながっているように感じます。66歳の私が読んでも、説教くさく感じず、素直に自分を振り返れたのは、この実務家らしい語り口のおかげかもしれません。

1970年代のケベックの街並みと教会の尖塔、静かに内側へ向き合う人物のイラスト

1970年代のケベック、教会の権威から少し距離を置き、静かに自分の内側に向き合い始めた時代の空気をイメージしました。

『五つの傷』は、フランス語圏で300万部を超えるベストセラーとなり、後に続編『五つの傷 癒しのメッセージ』も刊行されています。日本語版の翻訳者・浅岡夢二氏は、フランスおよびケベックの文学・思想を専門とする研究者で、ブルボーの著作を含むフランス語圏のスピリチュアリズム関連文献を数多く日本に紹介してきた人物です。実務家としての率直さと、翻訳を通じて丁寧に届けられた言葉の両方が、この本を単なる自己啓発書ではなく、長く読み継がれる一冊にしているのだと思います。