🎧 対談で聴く(二人が語り合う、この記事の感想・解説)

この音声は、本文の内容をもとにGoogle NotebookLM(Gemini)が生成したAI音声解説です。二人のキャスターが感想や解説を交えて語り合う対談形式の音声で、本文をそのまま読み上げるものではありません。

夕日に染まる、誰もいない一本道

Photo by Gilberto Parada on Unsplash

曲との出会い

この連載の第一弾で取り上げたビートルズの「When I'm Sixty-Four」は、実はポール・マッカートニーが「シナトラのために書いたつもりだった」と語っている曲です。10代のマッカートニー少年が思い描いていた憧れの歌手こそ、フランク・シナトラでした。その繋がりを知ってから、私はあらためてシナトラの代表曲「My Way」を聴き直すようになりました。人生を振り返り、自分の道を自分の足で歩いてきたと静かに宣言するこの曲を、私は40代の頃、海外でのビジネスの浮き沈みを経験していた時期に、たびたび口ずさんでいました。

20代の頃には持てなかった発想

20代の私にとって、「自分のやり方を貫いた」と胸を張って言い切ることは、まだ遠い未来の話でした。人生の進路を大きく見直し、ロンドンに渡ってゼロから積み上げていたあの頃は、これから何を選び、何を後悔することになるのか、見当もつきませんでした。今にして思えば、「My Way」が歌う境地は、若さの中で目指すべき目標ではなく、長い年月の果てにようやくたどり着ける、一つの到達点だったのだと思います。

生命をめぐる小さな問い

仏教でいう「生老病死」の最後の一文字、「死」について、20代の頃の私はできる限り考えないようにしていました。「My Way」の歌い出しは、まさに人生の最後の幕が近づいてきたという場面から始まります。20代の頃であれば、そんな出だしの曲に感情移入することは難しかったでしょう。しかし66歳になった今は、この歌い出しにこそ、静かな覚悟を感じるようになりました。終わりを意識するからこそ、悔いを最小限にするために、今この瞬間をどう生きるかを選び取れる。死を遠ざけるのではなく、視野の片隅に置いておくことが、かえって今を大切にする力になるのだと、この曲を聴くたびに思わされます。

66歳の今、聴こえてくるもの

日本食ビジネスを世界各地で立ち上げ、鍼灸や漢方の仕事にも携わり、不動産や株式への投資も経験して、2025年、65歳を機にリタイアしました。50代の頃には、健康診断で初めて「要経過観察」の項目が増え始め、まだ何者かになれるはずだという焦りと、そろそろ諦めるべきかという気持ちの間で揺れていた時期もありました。それでも、こうした迷いをすべて隠さずに言葉にしておくことには意味があると思っています。誰かに向けた声というより、ただここに書き残しておくこと自体が、同じように揺れている誰かにとっての、小さな道しるべになればと願っています。

英国で長く暮らしていると、「自分の道を自分で選ぶ」ことをはっきりと言葉にし、時には自己主張することが美徳とされる文化に触れる機会が多くあります。一方、日本で育った私は、和を重んじ、自分を主張しすぎないことを美徳とする感覚を、体の奥深くに持っています。「My Way」という、これ以上ないほど個人主義的な宣言を、この二つの文化のあいだで生きてきた身として聴くと、単なる自己主張の歌としてではなく、「それでも自分なりの選び方をしてきた」という、もっと控えめな確認の歌として響いてきます。声高に叫ぶ必要はなく、ただ静かに、自分自身にそう言い聞かせるだけでいい。そんな聴き方もあるのだと思うようになりました。

この曲についてもう一つ、個人的に興味深いのは、この曲が本当はシナトラ自身の言葉ではなく、作詞家ポール・アンカが「もしシナトラが自分で詞を書くとしたら、何を語るだろうか」と想像しながら書いた言葉だという事実です。人生の集大成とも言えるほど個人主義的な、「これが私のやり方だ」という宣言そのものが、実は他者の想像力を通して形づくられたものだった。私たちが自分自身について語る物語もまた、案外、周りの人々が見てくれている自分の姿から作られている部分が多いのかもしれません。自分だけの物語だと思っていたものが、実は誰かとの対話の中で生まれていた。そう考えると、この曲の重みが、また少し違って感じられます。

シナトラの生涯を丁寧に描いた評伝として、ピート・ハミルの『ザ・ヴォイス: フランク・シナトラの人生』も、この曲が生まれた背景を知るのに興味深い一冊でした。よろしければあわせてどうぞ。 単行本

(Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)

むすびに

20代の頃の私には、後悔を恐れず、自分の道を歩んできたと言い切ることなど、とても想像できませんでした。66歳になった今、後悔がまったくないとは言えません。それでも、その後悔さえも、自分が選び取ってきた道の一部として抱えていけるようになったことこそ、歳を重ねた実感なのだと思います。「My Way」を聴くたびに、私はそのことを思い出させてもらっています。人生は、生きるに値する。この一曲が、半世紀以上前から世界中で歌われ続けている理由も、そこにあるのだと思います。

参考リンク

ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

自分の道を自分で選び取ってきたと言い切れるようになった今だからこそ、俳句のことばがまた違って響きます。これは私の義父の遺作です。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

こちらも、66歳になって経験した白内障手術という新しい体験を綴った一冊です。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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フランク・シナトラさんについて(プロフィール・経歴)

フランク・シナトラは、1915年12月12日、アメリカ・ニュージャージー州ホーボーケン生まれ。1930年代後半にバンド歌手としてキャリアを始め、1940年代にはトミー・ドーシー楽団のボーカリストとして人気を博した後、ソロ歌手として独立し、瞬く間に若い世代を熱狂させるアイドル的存在となりました。1950年代には、一時的な人気低迷を経て、映画『地上より永遠に』でアカデミー助演男優賞を受賞するなど俳優としても評価され、キャピトル・レコード時代に「Come Fly with Me」「Fly Me to the Moon」など数々の名曲を残し、20世紀を代表する歌手としての地位を確立しました。1960年代には自身のレーベル、リプリーズ・レコードを設立。「My Way」は1969年3月、通算何百曲目ともいわれる録音キャリアの中でリリースされたシングルで、フランスの楽曲「Comme d'habitude(コム・ダビチュード)」に、盟友ポール・アンカが英語詞をつけたものです。全米チャートでは27位という控えめな成績でしたが、英国ではトップ40に75週間ランクインするという、今なお破られていない記録を打ち立てました。以来、コンサートの最後を締めくくる曲として定着し、シナトラ自身の生き様と重なる楽曲として、世界中で愛され続けています。1998年5月14日、82歳で逝去。生涯で映画やテレビにも数多く出演し、大統領自由勲章をはじめとする数々の栄誉に輝いた、20世紀アメリカ音楽を象徴する存在です。