アン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈物』(新潮文庫)をきっかけに、66歳の私が実際にやってみている実践を体験談としてまとめました。冬は大阪で過ごし、それ以外の季節は英国のウェストミッドランズで過ごす。そんな二拠点生活も、ようやく体になじんできました。この本は1955年、フロリダの浜辺の小屋にひとりで滞在していた著者が、拾い集めた貝殻を手がかりに、自分の暮らし方そのものを見つめ直していく記録です。66歳になった今の私にとって、驚くほど今の自分に語りかけてくる本でした。
波打ち際に、拾い集めた貝の山ではなく、たった一枚の貝殻だけがそっと置かれている情景。「持ちすぎない」という本書のテーマを象徴するイメージとして作成しました。
一枚の貝殻に学ぶ、持ちすぎないという実践
著者は浜辺で貝殻を拾い始めると、つい欲張って両手いっぱいに集めてしまいます。けれどもポケットに入れて持ち帰れるのは、結局のところ一枚か二枚だけ。彼女はやがて、美しい貝を全部持ち帰ろうとするより、心に残った一枚だけを選んで大切にする方が、豊かな暮らしにつながると気づいていきます。
これは、65歳でリタイアしてからの私の資産整理そのものだと感じました。現役時代は、レストランや食品工場、株や不動産と、あれもこれもと手を広げてきましたが、リタイア後は逆に、本当に大切なものだけを絞り込むようにしています。銘柄を減らし、管理する物件も絞り、代わりに一つひとつをじっくり見る時間を増やす。お金の心配をなくす方法とは、増やすことだけでなく、抱える数を減らすことでもあるのだと、この歳になって実感しています。
月の貝に学ぶ、一人の時間を確保する実践
著者は「月の貝」の章で、静けさの中にひとりでいる時間の大切さを語ります。誰かと分かち合う前に、まず自分自身と向き合う時間がなければ、人との関係もどこか上滑りしてしまう、という指摘です。
英国での暮らしは、私にとってまさにこの「月の貝」の時間です。日本にいる間は人との予定が詰まりがちですが、英国に戻ると、温室で野菜の様子を見たり、庭のRaised Bedを手入れしたりする、静かな時間が中心になります。きゅうり、なす、ペッパー、トマトを温室で、ラズベリーやアスパラガス、ズッキーニ、いちご、ハーブ類、じゃがいもをRaised Bedで育てながら過ごす時間は、誰かに見せるためのものではなく、ただ今この瞬間を生きるための時間です。今を生きるとは、案外こういう地味な作業の積み重ねなのかもしれません。
牡蠣の床に学ぶ、人間関係を選び直す実践
「牡蠣の床」の章で著者は、既婚女性が親、配偶者、子ども、友人、社会と、あまりに多くの役割を同時に引き受けようとして疲弊していく様子を描いています。すべての人間関係に同じ濃度で応えようとする必要はない、という視点です。
これを読んでから、私は「会いたくないけれど会わねばならない人」との付き合い方を少し変えました。以前は、そうした人と会う前から気が重くなっていましたが、今は「今日はこの用件だけを片づける」と、あらかじめ範囲を決めておくようにしています。人間関係の苦しみから逃れる方法は、関係を断つことだけではなく、関わる深さを自分で調整することでもある。そう考えると、少し肩の力が抜けます。
アルゴノート貝に学ぶ、絆を結び直す実践
タコの一種アルゴノートが自らの意志で貝殻に留まるように、著者は、義務としての絆ではなく、自ら選び続ける絆こそが本物だと書いています。若い頃に自然に結ばれた関係も、年齢を重ねるにつれて、あらためて自分の意志で選び直す必要が出てくる、という考え方です。
英国と日本という離れた場所で暮らしていると、友人や仕事関係の人たちとの距離感は、放っておけば自然に変わっていきます。だからこそ、誰と連絡を取り続けるか、どの関係を大切に育てるかを、私は意識して選ぶようにしています。人やあらゆる生命が何のために生まれてきたのかという大きな問いに、私はまだ答えを持っていませんが、少なくとも、誰との時間を選ぶかは、自分で決められることなのだと思っています。
温室のトマトやきゅうり、庭のRaised Bedのベリー類、David Austinのバラが並ぶ、英国の庭仕事の情景。老いを受け入れながら育てる暮らしのイメージとして作成しました。
いくつかの貝に学ぶ、老いの多様性を受け入れる実践
「いくつかの貝」の章で著者は、完璧に美しい貝は少なく、欠けたり摩耗したりした貝にこそ、独特の味わいがあると書いています。老いた体もまた、傷や欠けを抱えながら、それでも一つの形として成り立っている、という視点です。
60代になってから、階段の上り下りで息切れを感じたり、人の名前がすぐに出てこなくなったりすることが増えました。以前は苛立ちを感じていましたが、最近は、こうした変化を無理に若い頃の基準で評価しないようにしています。東洋医学を学んだ経験を生かして、体調に合わせて漢方を選んだり、千年灸で冷えやすい部分を温めたり、ホメオパシーや光線療法を体調管理の選択肢の一つとして取り入れたりしています。どれも老いを止める魔法ではありませんが、「欠けた貝にも味わいがある」と思えるようになるための、小さな助けにはなっていると感じています。
夜の浜辺に学ぶ、今この瞬間を生きる実践
最終章「夜の浜辺」で、著者は一日の終わりに再び浜辺に立ち、朝とは違う景色を眺めながら、人生が円を描くように巡っていくことを静かに受け入れます。何かを成し遂げることよりも、今この瞬間を味わうことの方が、実は豊かな老後につながるのではないか、という問いかけです。
David Austinのバラを10種類以上育てていると、毎年同じ場所に同じように花が咲くわけではないことに気づきます。ある年はよく咲き、ある年は思うようにいかない。それでも次の春には、また新しい蕾がつく。温室のトマトやペッパーも、Raised Bedのじゃがいもも、収穫して終わりではなく、また次の季節へと巡っていきます。楽しく、わくわくして毎日を生きる方法は、特別なイベントを探すことではなく、この巡りそのものを味わう姿勢にあるのかもしれません。
貝殻を減らし、一人の時間を守り、人間関係の深さを選び、絆を結び直し、老いの欠けを受け入れ、巡る季節を味わう。どれも特別なことではありませんが、66歳の今、あらためて意識してみたい実践です。庭の世話を終えて家に戻ると、メグが窓辺で待っていることがあります。そんな何でもない瞬間にも、この本が教えてくれた「今を生きる」ということが、静かに宿っている気がしています。
今回ご紹介した本はこちらです。
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ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
アン・モロウ・リンドバーグという人と、その時代
1950年代アメリカ、フロリダの浜辺に建つ質素な別荘と、そこに佇む一人の女性の後ろ姿。著者が本書を執筆した背景をイメージとして作成しました。
アン・モロウ・リンドバーグは、外交官の娘としてニューヨークに生まれ、1929年、大西洋横断単独飛行で世界的名声を得た飛行家チャールズ・リンドバーグと結婚しました。彼女自身も飛行免許を持ち、夫とともに数々の探検飛行に同行した先駆的な女性でもあります。しかし1932年、長男が誘拐され殺害されるという痛ましい事件に見舞われ、一家はマスコミの過熱報道から逃れるように暮らしを転々とさせることになります。本書は、そうした喧騒からいったん離れ、1950年代にフロリダの浜辺の小屋にひとりで滞在していた時期に書かれました。当時のアメリカ社会は、女性が家庭に留まることを美徳とする風潮が強く、ベティ・フリーダンが『新しい女性の創造』で異議を唱えるより十年ほど早く、著者は静かな筆致で、妻や母という役割の外側にある自分自身の時間の必要性を綴っています。声高な主張ではなく、浜辺の貝殻という身近な比喩を通して語る姿勢そのものに、彼女の人柄がよく表れています。