日本の講演家・小林正観さんの『笑いつつやがて真顔のジョーク集』(笑いの講演録1)をきっかけに、66歳の私が実際にやってみている実践記録をまとめました。以前このブログでは、ノーマン・カズンズの本から学んだことを書きましたが、今回はジャンルをがらりと変えてこの本を読みました。タイトルの通り、最初はダジャレや小噺で笑わせながら、気がつくと「人はなぜ生まれてきたのか」「お金とは何か」「老いとどう付き合うか」といった、かなり本質的な話に連れていかれる、不思議な構成の一冊です。66歳の私にとって、笑いながら読めるのに、読み終えたあとにずしんと残るものがある本でした。
「頼まれごと」を物差しにする実践
本の中で繰り返し出てくるのが、「頼まれごとこそが人生である」という考え方です。著者は、自分で目標を立ててそこに向かって努力することよりも、「いかに人から頼まれるか」のほうが大切だと語っています。不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わない人のところに、頼まれごとは自然と集まってくる、というのです。
これは私にとって、これまでの仕事やキャリアに対する考え方をひっくり返すような話でした。会社を経営していた頃の私は、目標を立てて達成することを働くことの中心に置いていました。しかしリタイアした今、次に何をすべきかを自分ひとりで決めようとするより、「誰かに何かを頼まれたら、それをきちんと引き受ける」という姿勢のほうが、日々の張り合いになっている気がします。ブログの記事を書くのも、動画を作るのも、元をたどれば誰かに「見たい」「知りたい」と言われたことがきっかけでした。今は、頼まれごとが来たときに「面倒だ」ではなく「ありがたい」と受け止めるよう意識しています。
「ユートピア」を感じる実践 ― 条件をつけずに今を幸せだと思う
著者は、幸せには二種類あると言います。ひとつは、何かの条件をクリアしたら手に入る「パラダイス」型の幸せ。もうひとつは、今ここにある状態を、そのまま幸せの本体として受け取る「ユートピア」型の幸せです。パラダイス型の幸せは、条件をクリアしてもすぐに次の条件が現れるので、永遠に完成しないのだそうです。
これは、資産形成に時間を使ってきた私には、かなり耳の痛い話でした。含み益が増えても、次はもっと増やしたくなる。今は、朝、温室でトマトの葉に水滴がついているのを見たときや、メグ(我が家の猫)が膝の上で丸くなったときに、「あ、今、これで十分幸せだ」と、条件なしで言葉にしてみる練習をしています。数字を追いかけるのをやめるわけではありませんが、数字とは別のところに、幸せの本体を置いておくようにしています。
お金を「通貨」として通過させる実践
お金についての章も印象的でした。著者は、自分のところに入ってきたお金を「自分のもの」だと思って貯め込もうとすると、かえって入ってこなくなる、お金は自分のところを「通過」していくものだと捉える人のところに巡ってくる、と語っています。
不動産や株式投資を続けてきた私にとって、極端な話に聞こえる部分もあります。ただ、「お金の心配をなくす」という点については、貯め込むこと自体を目的にしないという視点は参考になりました。今は、資産形成の計画は計画としてきちんと続けながらも、「このお金は誰かの役に立つために、自分のところを通り過ぎていくものだ」と、意識的に言葉にする時間を作るようにしています。お金そのものより、お金がどう使われて誰が喜ぶかを考えるほうが、心配ごとが減る気がしています。
怒りを「後天的な癖」として扱う実践
人間関係については、「人間はもともと怒るようにはできていない。怒ってみせているだけだ」という話が印象的でした。怒りは本能ではなく、育った環境の中で学習した後天的な癖なのだ、という捉え方です。
会いたくない人に会わなければならないときも、「この人はこういう人だから」と決めつけて身構えるより、「この怒りっぽさも、後天的に身についた癖なのだろう」と一歩引いて見るようにすると、少し気が楽になります。実際にやってみると、相手を変えようとする代わりに、自分がその場でどう振る舞うかだけを淡々と決める、という距離の取り方ができるようになってきました。人間関係の苦しみの多くは、相手を変えようとするところから生まれるのかもしれない、と思うようになりました。
「への字口」にしない実践 ― 老いと表情の関係
老いについて直接語っている章では、年をとらない方法は、額の中央にしわを寄せないこと、いつも笑顔でいることだ、と書かれていました。営業マンの表情ひとつで商品の売れ行きが変わる、というエピソードも紹介されていて、表情と運の関係が具体的に語られていました。
66歳になり、関節の痛みや体力の低下を感じることが増えた私にとって、老いそのものを止めることはできません。ただ、老いに苛立って眉間にしわを寄せる時間を、意識して減らすことはできます。鏡の前を通るときに、口角が「への字」になっていないか確認する。これだけの小さな習慣ですが、老いる苦しみそのものは消えなくても、老いにどう向き合うかという部分は、自分でコントロールできる範囲が意外と広いのだと感じています。
「たんたんと生きる」実践 ― 良い悪いを裁かない
本の後半では、目の前に起きる出来事を「良い」「悪い」と裁くのをやめて、ただ淡々と受け止め、そこから自分は何を学ぶかだけを考える生き方が紹介されています。著者はこれを「第三の男」と呼んでいました。
これは、老境を楽しむための実践として、私には一番しっくりきました。老いていくことも、体力が落ちることも、良い悪いで裁くのをやめて、「では、今日はこの体でどう機嫌よく過ごすか」だけを考えるようにする。すると、老いに対する苛立ちが、少しずつ好奇心のようなものに変わっていく気がします。
今日一日を、笑って過ごすための工夫
著者は、魂は生まれ変わりを重ねながら、いずれ肉体を離れた状態に近づいていく、というスケールの大きな話もしていました。命がどこから来てどこへ行くのか、正直なところ私にはわかりません。ただ、頼まれごとを引き受け、条件なしで今を幸せだと思い、お金を通過させ、怒りを後天的な癖として手放し、表情をゆるめ、たんたんと生きる。この六つの実践を並べてみると、結局は「今日一日を、笑って過ごすための小さな工夫」に行き着くのだと感じています。それだけで、案外十分なのかもしれません。
今回ご紹介した本はこちらです。
小林正観『笑いつつやがて真顔のジョーク集』(笑いの講演録1)
(本サイトはAmazon.co.jpを宣伝しリンクすることによって紹介料を獲得できるAmazonアソシエイト・プログラムの参加者です)
ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』
俳句のことばと聖書の光を行き来しながら、東と西の精神性を静かに見つめたエッセイです。日本の詩情と聖書の世界が、思いがけないところで響き合う一冊です。これは私の義父の遺作です。
Amazonで見る『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』
大阪での両眼の白内障手術を、英国と日本の二拠点生活を送る66歳の視点から、率直に綴った体験記です。レンズ選びから費用、術後の見え方まで、実際に経験したことをそのまま記録しました。
Amazonで見る小林正観さんが生きた時代と、その人物像
著者の小林正観さん(1948〜2011年)は、東京生まれ。中央大学法学部を卒業し、学生時代から人間の潜在能力やESP現象、超常現象に強い関心を持ち、独自に研究を続けた人物です。年間およそ300回もの講演を全国で行い、2011年に63歳で亡くなるまで、講演を書き起こした形の著書を数多く残しました。本書もそうした講演録の一冊です。
彼が活動したのは、日本が高度経済成長からバブル経済、そしてバブル崩壊後の「頑張っても報われるとは限らない」という価値観の転換期を通過していった時代と重なります。目標を立てて努力すれば道が開けるという、戦後日本の成功モデルが揺らいだ時期に、「目標達成」ではなく「頼まれごと」を軸にする生き方や、競争や効率から距離を置いた「淡々と生きる」という提案をしたことは、その時代背景と無関係ではないように思えます。右肩上がりの成長が当たり前ではなくなった社会に向けて、頑張り続けること以外の答えを示そうとした人だったのかもしれません。
人物としては、長女が障害を持って生まれたという経験があり、そのことが「普通なら気づかないような人の優しさに、人一倍多く出会えた」という語りにつながっているようです。「トイレ掃除をすると運がよくなる」といった主張などユニークで賛否の分かれる部分も含めて、理屈よりも体験や現象そのものを重視する、独特の語り口の持ち主だったと言えそうです。全国を飛び回るほどの講演活動を続けながらも、本人は「使命感は持っていない、ただ自分が楽しいから話しているだけだ」と語っていたそうで、この肩の力の抜けた姿勢そのものが、彼のメッセージを体現しているようにも感じます。