林芙美子『放浪記』(昭和五年刊、彼女のデビュー作)をきっかけに、66歳の私が実際にやってみている習慣をまとめました。以前から気になっていたこの本を、ようやく読み終えました。大正末期から昭和初期にかけて、若い芙美子さんが職を転々としながら、時に一杯のうどんにも困るような暮らしを綴りながら、作家デビューをめざし、日々奮闘する日記文学です。
「今日一日を、ただ生きる」実践
芙美子さんの日記には、明日の計画も、将来の展望もほとんど出てきません。あるのは「今日、何を食べたか」「今日、誰と話したか」という、ひたすら今日だけの記録です。窮乏の中で選び取られた生き方ではありますが、これは案外、今の私にも響くものがありました。
66歳になった今、老後の計画を立てることは大切だと思う一方で、計画にとらわれすぎて「今日」をおろそかにしていないかと、この本を読んで振り返るようになりました。朝、庭のバラの蕾が一つ開いているのを見つけたら、その日はそれだけで十分な収穫だったと思うようにしています。数十種類の予定より、今日開いた一輪のバラの方が、確かな手ざわりを持っている。そんな感覚です。
庭のバラの蕾が一つ開く朝の情景をイメージしたイラストです。
「小さな美味しさを味わう」実践
芙美子さんは、貧しさの中でも、ゆで玉子やお団子を口にする瞬間の描写がとても生き生きとしています。ただの空腹を満たす以上の、小さな祝祭のような喜びがそこにはあります。
私も最近、食事のたびに、一口目だけは意識して味わうようにしています。忙しく食べることが習慣になってしまうと、味わうという行為そのものを忘れてしまいがちです。特に、庭のRaised Bedで育てたアスパラガスを収穫したばかりの朝は、茹でただけのシンプルな一皿でも、驚くほど甘みを感じます。育てる手間と待つ時間があるからこそ、その一口が特別なものになるのだと、芙美子さんの日記を読みながら気づかされました。
「お金の心配を、数字ではなく感情として扱う」実践
この本には、お金の心配がこれでもかというほど繰り返し出てきます。けれども芙美子さんは、その心配を克明に書き留めることで、心配そのものから少し距離を置いているようにも見えます。
私自身、投資を学び始めてから、お金の心配は「いくら足りないか」という数字の問題ではなく、「不安という感情をどう扱うか」の問題だと気づくようになりました。数字を確認して安心するのではなく、不安を感じたらまずノートに書き出す。芙美子さんが日記に不安を書き綴っていたのと、根っこは同じ作業なのかもしれません。
「体を気遣う小さな習慣」実践
若い芙美子さんの暮らしには、体をいたわる余裕がほとんどありませんでした。空腹と疲労がそのまま日常で、瓶のふたを開けるのが少し重く感じる、というような些細な体の変化に気を配る暇もなかったことでしょう。
66歳の私は、逆にそうした些細な変化にこそ耳を澄ますようにしています。最近では、肩や膝が張った感じがする日には、光線療法を試すようにしています。大がかりな治療よりも、こうした小さな養生を積み重ねることの方が、健康寿命には効いてくるのではないかと感じています。
千年灸を用いた静かな養生の時間をイメージしたイラストです。
「書き続けることが、自分を保つ」実践
芙美子さんの日記は、詩や童話が何度も雑誌社から突き返される、報われない日々の記録でもあります。それでも彼女は書くことをやめませんでした。書くこと自体が、彼女を彼女たらしめていたのだと思います。
記憶力や集中力が少しずつ衰えてきたと感じるこの頃、私にとってもブログを書き続けることは、単なる発信以上の意味を持つようになっています。書くことで、その日その日の暮らしが編集され、記録として残っていく。この感覚は、芙美子さんが貧しい下宿の隅で原稿用紙に向かっていた気持ちと、案外近いのではないかと思うのです。
別れを、諸行無常として受け止める実践
『放浪記』には、幾人もの男性との出会いと別れが描かれています。そのどれもが長くは続かず、芙美子さんはそのたびに深く傷つきながらも、また次の日を生きています。仏教でいう「愛別離苦」——愛する者と別れる苦しみ——は、この本全体を貫くテーマの一つだと感じました。
2拠点生活をしている私にとっても、大切な人や場所からしばらく離れるということは、決して他人事ではありません。ただ、若い頃には受け入れがたかった別れも、66歳になったいまは「すべては移ろうものだ」という諸行無常の感覚とともに、少し違った重さで受け止められるようになった気がします。悲しみを消すのではなく、悲しみのままそっと抱えておける器が、年齢とともに少しずつ大きくなっているのかもしれません。
英国と日本、二つの放浪記
英国にはジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』という、これも貧しい下積み時代を綴った作品があります。同じ「放浪記」というタイトルでも、オーウェルの筆致は社会観察者としての距離感が強く、芙美子さんの日記はもっと肉声に近い、感情のうねりそのものです。英国と日本、それぞれの社会が抱えていた貧困のかたちの違いを、二つの「放浪記」を並べて読むことで、あらためて考えさせられました。
大正末期から昭和初期、東京の下宿街や夜店通りの情景をイメージしたイラストです。
林芙美子の幸福観
最後に、芙美子さんの幸福観を書き留めておきたいと思います。(放浪記より)
「何物にもとらわれる事なく、何時までも汽車旅をつづけていたいようなのんびりさだ。 汽車に乗って、岡山へかえるなぞとは、昨日まで考えつかなかった事だけに、愉しくて仕方がない。 さきの事はさきの事で、また、何とか、人生のおもむきは変ってゆくであろう。 譜面台のない人生が未来にはある。私はそう思う。 自分の運命なンか少しもわかっていないけれども 運命の神様が何とかお考えになっているのには違いない。 ぞっとするような事も度々だけれど、この汽車に乗れる幸福は、まことに有難いことだ。」
『風も吹くなり 雲も光るなり 生きている幸福(しあわせ)は 波間の鴎(かもめ)のごとく 縹渺(ひょうびょう)とただよい
生きている幸福(こうふく)は あなたも知ってゐる 私もよく知ってゐる
花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり』
(『村岡花子への手紙』より)
芙美子さんを評してよく言われる「恋多き、不幸な女」ではなく、「幸せな女(ひと)」だったのではないかと私は思います。
今回ご紹介した本はこちらです。
NHKの100分de名著にも取り上げられています。
林芙美子という人と、彼女が生きた時代についてもっと知りたいという方にぴったりです。
(本サイトはAmazon.co.jpを宣伝しリンクすることによって紹介料を獲得できるAmazonアソシエイト・プログラムの参加者です)
ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』
俳句のことばと聖書の光を行き来しながら、東と西の精神性を静かに見つめたエッセイです。放浪の日々を綴った芙美子さんの日記とはまた違う筆致で、暮らしと信仰を見つめています。これは私の義父の遺作です。
Amazonで見る『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』
大阪での両眼の白内障手術を、英国と日本の二拠点生活を送る66歳の視点から、率直に綴った体験記です。「今日をどう生きるか」という記録という意味では、この本も同じ心持ちで書きました。
Amazonで見る林芙美子という人、そしてその時代
林芙美子は1903年、福岡県の門司に生まれました(生年には諸説あり、本人も年齢を偽って語っていたことで知られています)。行商人の両親に連れられ、幼少期から九州各地を転々とする生活を送り、定住する故郷を持たないまま育ちました。尾道高等女学校を卒業後、因島出身で東京の大学に通う恋人を追って、単身上京しますが、翌年恋人から捨てられてしまいます。女工、事務員、女給、行商など、職を転々としながら困窮の日々を過ごします。『放浪記』はその時期につけていた4年分の日記をもとに書かれ、1928年から雑誌『女人藝術』に連載されると、その率直で生々しい筆致が評判を呼び、単行本化後はベストセラーとなりました。
大正末期から昭和初期という時代は、関東大震災後の不況と、都市に流入する労働者階級の困窮が重なった時代でした。芙美子自身、正式な結婚歴を持たないまま複数の男性との関係を経験し、女性が経済的にも社会的にも自立することの難しさを、身をもって知っていました。そうした環境の中で培われた「弱者への共感」と「生きることへの執着」は、後年の代表作『浮雲』などにも一貫して流れています。
驚異的な筆力と行動力の持ち主で、従軍記者としてインドシナや中国に赴くなど、女性作家としては異例の行動範囲を持っていました。一方で、貧しさへの恐怖は生涯消えることがなかったともいわれ、晩年まで旺盛に書き続けました。1951年、47歳で心臓麻痺で急逝しています。