崎山克彦さんの『何もなくて豊かな島――南海の小島カオハガンに暮らす』をきっかけに、65歳でリタイアし今は日本と英国を行き来しながら暮らす私が実際にやってみていることを、体験談としてまとめました。大手出版社の役員という立場を52歳で離れ、退職金でフィリピン・セブ島沖の小さな島カオハガンを買い、電気も水道もないところで島の人たちと一緒に暮らし始めた、という実際の記録です。1995年の刊行当時、「スローライフ」という言葉すらまだ一般的ではなかった中で20万部を超えるベストセラーになったと知り、当時すでに多くの人が、同じような息苦しさを抱えていたのだろうと想像しました。この本は、「何を手放し、何を残すか」を考えさせられる一冊でした。
「豊かさ」を財布ではなく五感で数え直す実践
崎山さんが暮らす島の人たちは、お金の多寡で豊かさを測りません。海の恵みや、風、隣人と過ごす時間そのものが、そのまま暮らしの財産になっています。読みながら私は、「豊かさ」という言葉を、いつのまにか証券口座の残高で考えるようになっていたことに気づかされました。
今は、朝いちばんに投資アプリを開く代わりに、まず温室に行ってトマトの様子を見て、猫のメグを一撫でしてから一日を始めるようにしています。その日の「豊かさ」を、数字より先に五感で確認しておく。それだけで、あとから数字を見たときの一喜一憂が、以前より少し軽くなった気がしています。夜、寝る前に手帳にその日感じた「お金では買えなかったもの」を一つだけ書き留める、という小さな習慣も始めました。何を書くか毎日迷うくらいなら、それは案外、悪くない一日だったということなのだと思います。
「今日食べる分だけ獲る」実践
島の漁は、必要な分だけを獲り、余れば分け合う、という考え方に基づいていると本には書かれています。買い占めることも、独り占めすることもありません。これは、資産形成に対する自分の態度にも通じるものだと感じました。
これまでの私は、資産を確認するたびに「もっと増やせないか」という視点で数字を眺めがちでした。最近は、まず「今の暮らしに必要な分は、もう足りているか」という問いを先に立てるようにしています。増やす計画自体を否定するわけではありませんが、「足りている」ことを確認してから「増やす」ことを考える、という順番に変えただけで、お金についての心配のかかり方がずいぶん違ってきました。現役時代は「働く」ことがほぼ「稼ぐ」ことと同義でしたが、今こうしてブログを書くことも、私にとっては報酬のためではない一種の「仕事」です。稼ぐための働き方から、分かち合うための働き方へと、少しずつ軸足を移している最中なのだと感じています。
電気のない暮らしから借りる「今、ここ」の実践
電気も水道もない島では、一日は太陽の動きに沿って進みます。崎山さんの記述からは、予定に追われるのではなく、今この瞬間に体を合わせていく暮らしぶりが伝わってきました。
リタイアした今、スケジュールに追われる必要はもうないはずなのに、それでもスマートフォンには無意識に手が伸びてしまいます。今は、朝と夕方、温室での作業をしている時間だけは、スマートフォンを家の中に置いてくることにしました。ほんの30分ほどですが、光や風の変化にふと気づく時間が、以前より増えたように思います。英国の庭に出れば鳥の声が、日本の庭に出れば季節の匂いが違う。2拠点での暮らしそのものが、「今、ここ」を意識させてくれる仕掛けになっていることにも、この本を読んであらためて気づかされました。
「昨日の諍いを持ち越さない」実践
小さな島では、気の合わない相手がいても、簡単には避けて暮らせません。本の中には、住民同士の摩擦や、崎山さん自身と島の人たちとの行き違いも率直に描かれていますが、それを引きずったまま関係が壊れてしまう、という書かれ方はされていませんでした。
会いたくない相手に会わねばならない場面は、66歳になった今でもなくなりません。最近心がけているのは、そういう相手と会う前に「今日のやり取りは、今日で終わらせる」と一度自分に言い聞かせておくことです。良い関係を演じる必要はありませんが、昨日までの感情をその日に持ち込まない、というだけで、会う前の緊張がいくらか和らぐように感じています。会ったあとも、その場で感じたことを引きずって次の予定にまで持ち越さないよう、短い散歩を挟んで気持ちを一区切りつけるようにしています。小さな島から逃げ場がないのと同じように、人間関係からも完全に逃げることはできない。だからこそ、その日のうちに区切りをつける工夫が要るのだと思います。
病気や台風を「天候」として引き受ける実践
島には十分な医療設備があるわけではなく、台風も定期的にやってきます。それでも崎山さんの筆致は、それらを敵として戦うというより、いつか通り過ぎていく天候のように受け止めているように読めました。
私自身、関節のこわばりを感じたり、夜中に何度か目が覚めたりすることが増え、若い頃のようにはいかない体を持て余すことがあります。以前学んだ東洋医学の知識を生かして、こわばりを感じた朝は、無理に治そうとするより「今日はそういう日」といったん受け止め、ツボ押しや軽いストレッチで様子を見る、というくらいの距離感に切り替えるようにしています。夜間に目が覚めてしまったときも、無理にまた眠ろうと焦るのではなく、しばらく静かに呼吸を数えて、体が落ち着くのを待つ。台風が過ぎるのをじっと待つのと、感覚としてはそう変わらないのかもしれません。老いを敵にしないというのは言葉で言うほど簡単ではありませんが、島の人たちの台風との付き合い方が、私にとって一つのヒントになっています。
「自然の一部として生き、還っていく」実践
崎山さんは、島の暮らしの中で、空も海も大地も誰かの所有物ではない、という感覚に何度も触れています。持つものとしてではなく、循環していくものとして自然を捉える視点です。
これに触発されて、私は家庭菜園の堆肥づくりを、以前より意識的に行うようになりました。枯れた葉や野菜くずが土に還り、また次の作物を育てる力になる。その循環を自分の手で扱っていると、自分自身もいずれそこに還っていく一部なのだ、という感覚が、不思議と穏やかな気持ちにつながります。堆肥ができあがるまでには数ヶ月かかりますが、その間、キュウリやナス、トマトが順番に実をつけては枯れていくのを見ていると、生き物の始まりと終わりが、思っているよりずっと近くにあるのだと感じます。命がどこから来てどこへ行くのか、答えが出るわけではありませんが、少なくとも「循環の途中にいる」と思えるだけで、老いへの苛立ちが少し和らぐように感じています。
何もないところにあった、もう一つの豊かさ
「何もない」ことは、崎山さんにとっても、実際にはすべてが満ち足りていたわけではない、厳しい現実を伴うものだったはずです。それでもこの本が教えてくれるのは、豊かさとは持っている量ではなく、足るを知り、分かち合い、今この瞬間を引き受ける姿勢そのものだ、ということでした。数字で測れる豊かさを手放せというよりは、数字では測れない豊かさに、もう一度目を向けてみる。日本と英国、それぞれ豊かさの形が違う二つの国を行き来しながら暮らしていると、その違いそのものが、豊かさの尺度が一つではないことを日々教えてくれます。66歳の私にとって、それは今日からでも始められる小さな実践です。
今回ご紹介した本はこちらです。
崎山克彦『何もなくて豊かな島――南海の小島カオハガンに暮らす』(新潮文庫)
(本サイトはAmazon.co.jpを宣伝しリンクすることによって紹介料を獲得できるAmazonアソシエイト・プログラムの参加者です)
ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』
俳句のことばと聖書の光を行き来しながら、東と西の精神性を静かに見つめたエッセイです。日本の詩情と聖書の世界が、思いがけないところで響き合う一冊です。これは私の義父の遺作です。
Amazonで見る『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』
大阪での両眼の白内障手術を、英国と日本の二拠点生活を送る66歳の視点から、率直に綴った体験記です。レンズ選びから費用、術後の見え方まで、実際に経験したことをそのまま記録しました。
Amazonで見る著者について、そして時代背景
崎山克彦さんは1935年生まれ、慶應義塾大学を卒業した1959年に講談社へ入社しました。アメリカ留学を経て、設立間もない講談社インターナショナルに移り、やがて役員を務めます。講談社インターナショナルは、日本の文化や文学を英語圏に紹介することを一つの使命とした出版社であり、崎山さんは早くから、日本の内と外を橋渡しする仕事に携わっていたことになります。日本が高度経済成長からバブル期へと向かい、会社人間であることが当然とされた時代を、出版という言葉の仕事の中枢で過ごした人物です。
52歳で会社を離れ、退職金でフィリピン・セブ島沖のカオハガン島を購入したのは1987年前後のこと。当初は出版社経営の仕事を続けながら島へ通い、1991年に完全に移住しました。組織の中で積み上げてきたキャリアを手放し、電気も水道もない島の暮らしを選んだ決断の背景には、モノや肩書きよりも自然や人とのつながりを豊かさの尺度とする価値観への転換があったのだと思います。
本作は1995年に新潮社から刊行され、単行本・文庫本を合わせて20万部を超えるベストセラーとなりました。「スローライフ」という言葉がまだ一般的でなかった時代に、脱サラして自然の中で生きる選択を、押しつけがましくない筆致で描いた点が、当時の会社中心の生き方に息苦しさを感じていた多くの読者の共感を呼んだのだと思います。当時の日本はバブル崩壊後の閉塞感が広がりはじめた時期でもあり、「島を買って移住する」という規格外の選択そのものが、多くの会社員にとって一つの希望として映ったのではないかと想像します。崎山さんはその後も島に暮らしながら、島の子どもたちのための奨学金制度をつくり、宿泊施設「カオハガンハウス」を通じて世界中から訪れる人と島の暮らしとの橋渡しを続けるなど、暮らしと社会貢献を地続きにする活動を重ねてきました。生涯で9冊の著書を残し、その一部は台湾語や中国語、韓国語にも翻訳されています。組織人としての経験と、そこから距離を置いた選択の両方を知る人物だからこそ書けた記録なのだと感じます。