「病人」ではなく「回復する人」でいること
著者は重い病を宣告されながらも、自分を病気の受け身の被害者ではなく、回復に向かって能動的に関わる当事者として位置づけました。この考え方には、はっとさせられるものがありました。
私自身、ここ数年で血液検査の数値や体力の変化を意識するようになりましたが、以前の私は「先生に言われた通りにしていればいい」という受け身の姿勢だったように思います。今は、人間ドックの結果を自分でも調べ、分からないことは主治医に質問リストを作って持って行くようにしています。医師にすべてを委ねるのではなく、対話しながら一緒に方針を決めていく。そんな関係の作り方を、この本から教わった気がしています。
笑いと機嫌のいい時間を、意識してつくる
本の中で語られる「笑い」の力については、科学的な証明うんぬんより先に、私自身の体感として納得できるところがありました。イギリスと大阪を行き来する暮らしの中で、気候も人間関係も変わる分、気分の波もあります。そこで最近は、意識的に「機嫌のいい時間」を一日のどこかに組み込むようにしています。
私の場合はそれが、朝の温室での作業です。トマトやきゅうり、なすの苗を見て回り、昨日との違いを見つける。うまく育っている株を見つけると、思わず一人で笑ってしまうことがあります。ラグドールのメグが足元にまとわりついてくるのも、同じような効果があるようです。深刻な話題を追いかけがちな年代だからこそ、意図的に軽やかな時間を確保することの大切さを実感しています。
笑いと機嫌のいい時間を、意識してつくる実践のイメージです。
「意味のある活動」が痛みを忘れさせてくれる
本の中で紹介されている、高齢になっても創作活動に打ち込む音楽家の逸話が印象に残りました。何かに没頭している間、体の不調をほとんど感じなくなるという話です。
これは私にも心当たりがあります。ブログの記事を書いているときや、庭の設計を考えているとき、肩や膝の違和感をすっかり忘れていることがよくあります。逆に、何もせずぼんやりしている日ほど、体のあちこちが気になるものです。だから私は、たとえ完璧でなくても「今日はこれをやる」という小さな目的を毎日ひとつ用意するようにしています。ブログの下書きを一段落書く、鉢を一つ植え替える、といった程度のことで十分です。
「意味のある活動」に没頭すると痛みを忘れる、という実践のイメージです。
栄養と身体を大切にしつつ、薬に頼りすぎない視点
本では、当時の医療における薬の使い過ぎへの警鐘も鳴らされています。もちろん今の医療は当時とは違いますし、必要な薬を自己判断でやめるようなことは絶対にすべきではありません。ただ、「まず生活習慣や栄養で整えられる部分はないか」を先に考える姿勢には、共感するところが多くありました。
私自身、これまでさまざまなサプリメントや栄養素について調べてきましたが、その根っこにあるのは「薬に頼る前に、自分の体が持っている力を引き出せないか」という発想です。庭で採れた野菜を食べること、日光を浴びながら体を動かすこと。地味なことですが、これも立派な「治癒力」への投資だと今は考えています。
「回復する力」は年齢に関係なくある
この本を読んで一番心に残ったのは、「人間の治癒力は、年を取ったからといって失われるものではない」というメッセージでした。66歳になった私にとって、これは静かな励ましになっています。
完璧な健康を目指すというより、今日できる小さな選択を積み重ねていく。笑うこと、没頭できることを持つこと、医師と対等に対話すること。この本をきっかけに、そんな当たり前のようで忘れがちな習慣を、あらためて意識するようになりました。
今回ご紹介した本はこちらです。
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