益田総子先生の『やっぱり劇的漢方薬』をきっかけに、66歳の私が実際にやってみている実践を体験談としてまとめました。北海道大学医学部を卒業され、西洋医学を修めたのちに漢方医としての道を歩まれた先生です。私自身、若い頃に国立大学の医学部に籍を置いていた時期があり、のちに英国で鍼灸と東洋医学を学び直したという経緯があるせいか、この本には他人事とは思えない親しみを感じながらページをめくりました。本の一貫した視点は、「病名」から入る西洋医学に対して、漢方は「この人はいまどんな状態か」という一人ひとりの"証"から入る、というものです。
このイラストは、同じ温室で育てていても、きゅうり・なす・ペッパー・トマトがそれぞれ違う世話を必要とする様子をイメージして作成したものです。
「病名」より「証」を見る実践
本の中で繰り返し語られるのは、同じ「頭痛」でも人によって効く漢方薬がまったく違う、という話です。病名という大きな箱に人を押し込めるのではなく、その人固有の状態、いわゆる"証"を見る。これは、私が温室で野菜を育てるときの感覚とよく似ています。同じ温室の中でも、きゅうり、なす、ペッパー、トマトはそれぞれ水のやり方も、支柱の立て方も、日当たりの好みも違う。トマトに効く管理をなすに当てはめても、うまくいきません。人の体も同じで、「疲れているときはこうすべき」という一般論より、「今日の自分はどんな状態か」を先に見るようにしています。健康寿命というものは、結局のところ、この「自分を個別に観察する」習慣の積み重ねなのだろうと感じています。
考えてみれば、生命というものも、あらかじめ決められた一つの「正しい在り方」があるわけではなく、その時々の状態の連続なのかもしれません。若い頃は、健康とは「症状がないこと」だと単純に考えていましたが、66歳になった今は、症状があってもなくても、その時々の自分の状態を丁寧に観察し続けること自体が、生きるということなのだろうと感じるようになりました。
症状を体質改善のチャンスとして受け取る実践
66歳になった今、階段の上り下りで息切れを感じたり、関節のこわばりを朝に感じたりすることが増えました。以前ならこうした変化に苛立ちを覚えていたと思いますが、この本を読んでから、症状を「悪いもの」ではなく「体質を教えてくれるサイン」として受け取るようにしています。息切れは、私の"気"の巡りが今どういう状態かを教えてくれている。こわばりは、朝の過ごし方を見直すきっかけをくれている。そう捉え直すだけで、老いていく体への苛立ちが、体質改善への好奇心に少しずつ変わってきました。老いの苦しみをなくすことはできませんが、その苦しみの中に「まだ知らない自分の体質」を発見する楽しみを見出せることに、この本を読んで気づかされました。
心と体はひとつ、という実践
本の中で印象的だったのは、体の不調の背後にストレスや心の状態が深く関わっているという指摘です。私は2015年から不動産投資や株式投資を続けていますが、相場が荒れる時期には、知らず知らずのうちに肩に力が入り、眠りが浅くなっていることに気づきます。今は、そうした緊張を感じたら、まず深呼吸をして「これは気の巡りが滞っているサインだ」と言葉にするようにしています。お金の心配そのものをゼロにすることはできませんが、心配が体にどう表れているかを観察することで、心配に振り回される時間は確実に短くなりました。心と体はひとつ、という漢方の視点は、投資という「頭で判断する仕事」をしている私にとって、意外なほど実用的な教えでした。
このイラストは、Raised Bedで育てているラズベリーやアスパラガス、ズッキーニ、いちご、ハーブ、じゃがいもと、David Austinのバラが並ぶ庭の様子をイメージして作成したものです。
老いを楽しむ漢方、という実践
本の終盤で語られる「老いを楽しむ」という視点も、私の暮らしと重なりました。温室の野菜だけでなく、庭のRaised Bedではラズベリー、アスパラガス、ズッキーニ、いちご、ハーブ、じゃがいもを育て、さらに10種類以上のDavid Austinのバラの世話をしています。若い頃なら「もっと効率よく、もっとたくさん」と考えたかもしれませんが、今は一つひとつの株の変化をゆっくり眺める時間そのものが目的になっています。バラが一輪咲くのを待つ時間、アスパラガスが芽を出すのを確認する朝。これは効率とは正反対の楽しみ方ですが、豊かな老後というのは、案外こういう「待つ時間を味わえるようになること」なのかもしれないと思うようになりました。
自らの「老い」に苛立つ気持ちが完全になくなるわけではありません。それでも、いちごが赤く色づくまでの数週間や、ズッキーニが思わぬ大きさに育つ驚きの中に、若い頃には気づかなかった小さなわくわくが確かにあります。楽しく、わくわくして毎日を生きる方法は、遠くに探しに行くものではなく、庭先にすでにあったのかもしれません。
会いたくない人との距離を漢方的に考える実践
本の中で、患者と医者の相性について書かれた章がありました。すべての人と無理に良好な関係を築こうとせず、合わない相手とは適切な距離を保つことも、体質に合った治療を選ぶことと同じくらい大切だ、という趣旨です。人間関係の苦しみの多くは、「合わない相手とも仲良くすべき」という思い込みから生まれているのかもしれません。今は、気の進まない誘いや、会うと消耗する相手との予定には、以前より慎重になりました。無理に距離を縮めようとせず、自分の"証"に合った付き合い方を選ぶ。これも、この本から得た実践のひとつです。声をかけ合うことだけが支え合いではなく、誰かの言葉をそっと受け取るだけで気持ちが軽くなることもあると、私は思っています。
記録すること自体を実践として続ける
英国と日本を行き来する暮らしをしていると、医療への向き合い方の違いをよく感じます。英国のGP(かかりつけ医)は症状を聞いてから薬を出すまでが比較的シンプルですが、日本の漢方外来では、顔色や舌、脈まで診て、その日その日の"証"を丁寧に記録していく文化があります。この「記録しながら向き合う」姿勢は、ブログを書くという私の習慣そのものだと気づきました。記憶力や集中力が若い頃より衰えてきたと感じることもありますが、書くことで自分の状態を編集し続けることはできる。この本の著者が長年、患者一人ひとりの"証"を記録し続けてきたように、私も温室やRaised Bedの記録、体調の記録を、たとえ拙くても書き残していきたいと思っています。
「病名」ではなく「証」を見る。症状を体質改善のチャンスとして受け取る。心と体のつながりを観察する。老いの中にゆっくり味わう楽しみを見つける。合わない相手とは無理に近づかない。そして、記録することで自分を編集し続ける。どれも特別なことではありませんが、66歳の今、あらためて大切にしたい習慣だと感じています。
本書に登場する主な漢方薬(益田先生の観点から)
益田先生の書き方でおもしろいのは、薬の効能を並べるだけでなく、「効く人」の性格や生い立ちまで、かなりくだけた調子で描写しているところです。今回とくに印象に残った9種類を、先生の見立てのニュアンスをできるだけ活かしてまとめてみます。
- 桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう):効く人には見事なまでの共通点があると先生は書いています。とにかく真面目一筋の人生を歩んできたタイプ。良く言えば実直、悪く言えば融通が利かないところまで生真面目で、冗談やユーモアがあまり通じない。しかもこういう人は、同じように真面目な親から、きっちりとした躾のもとで育てられていることが多い、というのが先生の観察です。我慢強く、頑張り屋で、何かうまくいかないとまず自分を責めてしまう女性にとくに多いタイプだそうです。
- 十全大補湯(じゅうぜんたいほとう):桂枝加竜骨牡蛎湯が効くタイプの人に併用すると、さらに調子が良くなることが多いと先生は書いています。真面目に頑張り続けた結果、精神だけでなく体力そのものまで使い果たしてしまった人向け、という位置づけです。つまり「真面目さ」そのものに効くのが桂枝加竜骨牡蛎湯で、その真面目さが招いた「体力の消耗」に効くのが十全大補湯、という役割分担になっているようです。
- 当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん):産休もろくに取らずに働き続けてきたような、体力に余裕のない女性に向く薬だと先生は説明しています。お腹を触ると力が入らず柔らかい、いわゆる「フニャッとした」感触の人に多いとのこと。桂枝加竜骨牡蛎湯のタイプが「精神力で頑張りすぎるタイプ」だとすれば、当帰芍薬散のタイプは「もともとの体力の土台が細い人が無理をしてしまったタイプ」というのが、私なりの理解です。本の中では、この薬と十全大補湯を組み合わせて劇的に調子が戻った女性経営者のケースも紹介されていました。
- 人参湯(にんじんとう):効く人には独特の表情があると先生は指摘していて、これがなかなか手厳しい観察です。自分のスタミナのなさ、体力のなさに、半ば無意識のうちに愛想を尽かしているような顔つきをしている人が多いというのです。下痢しやすく、めまいがあり、いかにも頼りない感触のお腹をしている人に効くとのことで、先生はこのタイプの患者さんとは長い付き合いになる、と書いています。
- 小建中湯(しょうけんちゅうとう):大人にも子どもにも効くとされる薬で、本の中では、色白でほっそりとした、儚げな印象の親子三人が、揃ってこの薬をベースに調子を整えていくエピソードが紹介されています。体質は親から子へ似ることも多い、という先生の実感が伝わってくる章でした。
- 五積散(ごしゃくさん):「冷えのぼせ」、つまり手足は冷えているのに、突然カーッと熱くなって汗が出るという、一見矛盾した症状に効く薬だと先生は説明しています。当帰芍薬散と組み合わせて使われることが多く、単独で使うより組み合わせたほうが「面白いほど」効くこともあると書かれています。
- 柴胡桂枝乾姜湯(さいこけいしかんきょうとう):先生の診療所では使用頻度が上位に入るという、いわば隠れた主力選手のような薬です。柴胡剤(病気が慢性化したときに使う一連の薬)のひとつで、体力が乏しいタイプ(虚証)の人に向くとされています。原因不明の微熱が長く続いているケースに、驚くほどあっさり効いてしまうことがある、とも書かれていました。
- 半夏白朮天麻湯(はんげびゃくじゅつてんまとう):胃腸が弱く、体に水が滞りやすい体質の人に向く薬です。むくみ、めまい、頭痛が重なるタイプ、とくに胃の弱さをともなうものに効きやすいとされています。
- 呉茱萸湯(ごしゅゆとう):冷えが関わる頭痛タイプの人に用いられる薬で、片頭痛の場面で当帰芍薬散などと使い分けられている様子が本の中で描かれていました。
こうして並べてみると、先生の処方の裏にある比較の軸が見えてきます。「真面目さ・気の張りすぎ」という性格面の消耗に効く薬(桂枝加竜骨牡蛎湯)、真面目さが招いた「体力そのものの消耗」に効く薬(十全大補湯・人参湯)、もともと体質的に余力が少ないタイプに向く薬(当帰芍薬散・小建中湯)、そして「冷えとのぼせ」「水の滞り」「慢性の微熱」といった、体の中の巡りの偏りに向けた薬(五積散・半夏白朮天麻湯・柴胡桂枝乾姜湯)。同じ「疲れる」「頭が痛い」という訴えでも、その症状がどこから来ているのかという物語まで含めて薬を選び分けている先生の姿勢に、あらためて感心させられました。単純な「この症状にはこの薬」という対応表では決してないのだと思います。
今回ご紹介した本はこちらです。
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ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』
俳句のことばと聖書の光を行き来しながら、東と西の精神性を静かに見つめたエッセイです。日本の詩情と聖書の世界が、思いがけないところで響き合う一冊です。これは私の義父の遺作です。
Amazonで見る『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』
大阪での両眼の白内障手術を、英国と日本の二拠点生活を送る66歳の視点から、率直に綴った体験記です。レンズ選びから費用、術後の見え方まで、実際に経験したことをそのまま記録しました。
Amazonで見る益田総子という人と、その時代
このイラストは、著者が生まれ育った北海道・旭川の風景と、戦後日本の医学教育の時代の雰囲気をイメージして作成したものです。
益田総子先生は1937年、北海道旭川市に生まれました。北海道大学医学部を卒業し、医師・医学博士として西洋医学の道を歩み始めます。先生が医学を学んだのは、戦後の日本がまだ復興の途上にあり、西洋医学こそが「正しい医療」であるという価値観が社会に強く根づいていた時代でした。漢方薬はむしろ、科学的根拠に乏しい民間療法に近いものとして見られがちな時期だったといえます。
そうした環境の中で、先生は小児科医としてキャリアをスタートさせながら、次第に漢方薬に強い関心を寄せるようになります。西洋医学の枠組みでは説明しきれない患者一人ひとりの体質や訴えに向き合ううちに、「病名」ではなく「証」を見るという漢方の思想に可能性を見出していったのでしょう。本の中では、女性を応援する医師になろうという初志が、いつのまにか「なんでも屋」のように幅広い症状に向き合う診療スタイルへと変化していった様子も率直に語られています。
自身の著書の中で、精神障害を持つ子を持つ親として、日本社会における精神障害者への理解の遅れにも言及されるなど、医療者としてだけでなく、一人の生活者としての視点も持ち合わせた方であったことがうかがえます。あとがきでは、漢方薬を診療に取り入れて以来、「もっと悔いのない人生を送りたい」という思いが強くなったと率直に綴られており、専門家としての実績を積み重ねながらも、常に自分自身の人生の後半をどう生きるかを問い続けていた姿がうかがえます。
西洋医学が絶対的な権威を持っていた時代に、あえて漢方という当時は傍流だった分野に軸足を移した決断そのものが、先生の人物像をよく表しています。「われわれ医者はずいぶん考えちがいをしてきたんだな」という本の中の一文には、確立された枠組みを疑い、患者一人ひとりの声に立ち返ろうとする姿勢が凝縮されています。西洋医学の基礎の上に、患者の声にまっすぐ耳を傾ける姿勢を重ね続けた先生の歩みは、医療とどう向き合うかを考えるうえで、多くの示唆を与えてくれます。