古代ローマの皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』をきっかけに、66歳の私が実際にやってみている6つの実践を体験談としてまとめました。『自省録』は、彼が戦場や執務の合間に自分自身に向けて書き残した言葉をまとめたもので、もともと出版するつもりも、誰かに読ませるつもりもなかった覚え書きです。皇帝という重責を担いながら、夜ごと、あるいは陣中で、自分の心を整えるためだけに綴られました。66歳になった今、あらためてこの本を読み返してみると、二千年近く前の皇帝の言葉が、驚くほどそのまま今の自分への語りかけとして響いてきました。

月桂樹を戴くローマの柱と、羽根ペンが置かれた開いた日誌を描いた線画

「自分の力が及ぶこと」だけに心を使い、日々を振り返る実践のイメージです。

実践①:苦手な人に会う日は、朝のうちに心の準備をする

『自省録』の中でも特によく知られているのが、朝、目覚めたときに自分に言い聞かせる言葉です。マルクスは、今日出会うかもしれない恩知らずな人、傲慢な人、不誠実な人のことをあらかじめ思い描き、それでも自分は彼らに腹を立てないと、目覚めのうちに心を決めておきます。人を憎むために生まれてきたのではなく、互いに助け合うために生まれてきたのだから、というのがその理由です。

これは私にも身に覚えがあります。どうしても気の進まない集まりや、価値観の合わない相手と会わねばならない日があります。以前はその日が近づくにつれて気が重くなっていましたが、今は前日の夜か当日の朝に「今日はこういう人に会うかもしれない、それでも自分の機嫌までは相手に渡さない」と、あらかじめ言葉にしておくようにしています。驚くほど、実際に会ったときの心の揺れが小さくなりました。

実践②:老いや衰えを「自然の一部」として受け止める

マルクスは繰り返し、この世界のあらゆるものは絶え間なく変化し続けていると書いています。花が咲いて散るように、体もまた季節とともに移ろっていく。それは不運でも失敗でもなく、宇宙全体の自然な営みの一部だという考え方です。

集中力や記憶力の衰え、関節のこわばり、体力の低下。60代半ばになると、こうした変化を日々の生活の中で実感します。以前はそのたびに小さく落胆していましたが、今は「これは自然の流れの中の出来事であって、自分だけが特別に損をしているわけではない」と一度言葉にしてから受け止めるようにしています。衰えを無理に否定するのではなく、それに振り回されないための小さな儀式です。

実践③:「自分の力が及ぶこと」だけに心を使う

『自省録』の土台にあるのが、物事を「自分の力が及ぶもの」と「及ばないもの」に分けるという考え方です。他人の評価、財産の増減、世間の噂。これらは自分の外側にあるもので、良いとも悪いとも決めつける必要はない、とマルクスは言います。心を使うべきは、自分の判断と行動だけだ、と。

投資や不動産にも関わってきた身として、お金の増減が気にならないと言えば嘘になります。ただ、今は相場のニュースを見て気持ちが揺れたときに、「これは自分の力が及ばない領域の出来事だ」と一度切り分けるようにしています。人間関係の苦しみについても同じで、相手にどう思われるかではなく、自分がどう振る舞ったかだけを基準にする。そう考えると、不思議と身軽になります。

実践④:過去でも未来でもなく「今」だけを生きる

マルクスは、人が本当に生きているのはいつも「今」というこの一瞬だけであり、過去はすでに過ぎ去り、未来はまだ来ていないのだから、失うことができるのもこの一瞬だけだ、と書いています。長い人生を生きようが短い人生を生きようが、誰もが手放すのはこの「今」だけなのだ、と。

この考え方は、私の毎日の過ごし方を少し変えました。温室でトマトの様子を見る数分、メグを撫でている時間、大阪の食べ歩きで一皿を味わう瞬間。以前はそうした時間を「大きな予定の合間の空き時間」として扱っていましたが、今は「これこそが自分が生きている時間そのものだ」と意識するようにしています。幸せというのは、遠くにある目標の先にあるのではなく、この一瞬をどう過ごすかの中にあるのだと、実感を伴って感じられるようになりました。

曲がりくねる川と、岸辺の軍用テント・軍旗、低い夜明けの光を描いた線画

過去でも未来でもなく「今」だけを生きる実践と、皇帝が生きた時代のイメージです。

実践⑤:与えられた役割を淡々と果たす

マルクスは皇帝という立場を、自分で選んだものというより、与えられた務めとして捉えていました。ぶどうの木がぶどうを実らせるように、人間には人間としてなすべき働きがある、というのが彼の考え方です。

65歳でリタイアした今の私にとって、これは「仕事」や「就活」との向き合い方のヒントになりました。もう大きな肩書きを求める必要はありませんが、ブログの技術的な刷新や動画制作といった、今の自分にできる小さな務めがあります。それを「まだ働かなければならない」と捉えるのではなく、「今の自分に与えられた、自分にしかできない務め」として淡々とこなす。そう考えるようになってから、作業そのものへの気の重さが減りました。

実践⑥:生命はどこから来て、どこへ行くのか

マルクスは、人間もまた自然の一部であり、自然から生まれ、いずれ自然の中に還っていく存在だと繰り返し書いています。個としての自分に強くこだわりすぎず、大きな全体の一部として自分を眺める視点です。

この視点を持つようになってから、自分の人生を「孤立した一本の線」としてではなく、「大きな流れの中の一区間」として眺められるようになりました。函館で生まれ、東北大学で学び、今は英国と大阪を行き来する。この一続きの流れの延長線上に、老いも、いずれ訪れる終わりもある。そう考えると、老いていくこと自体への苛立ちが少しずつ和らいでいくのを感じています。

『自省録』は、老いを生きるための技術書だった

読み終えて感じたのは、『自省録』が二千年前の哲学書である以上に、「今をどう生きるか」についての、きわめて実用的な技術書だということです。会いたくない人への向き合い方、老いの受け止め方、お金や評価からの距離の取り方、今この瞬間の過ごし方、与えられた役割の果たし方、そして自分という存在の位置づけ方。どれも特別な才能を必要とするものではなく、66歳の今からでも始められる小さな習慣ばかりです。

マルクス・アウレリウスが生きた時代と、その人物像

マルクス・アウレリウスは121年に生まれ、161年から180年に亡くなるまでローマ帝国の皇帝を務めました。彼が統治した時代は、決して平穏なものではありませんでした。東方ではパルティアとの戦争が続き、帝国全土に深刻な疫病(いわゆるアントニヌスの疫病)が広がり、北方の国境ではゲルマン系の諸部族との戦いが長期化し、彼自身、生涯の後半のほとんどをドナウ川沿いの戦場で過ごしています。『自省録』の多くの断章が、まさにその陣中で書かれたと考えられています。

哲学的には、マルクスは若い頃からストア派の思想に強く傾倒していました。ストア派は、感情に振り回されず理性に従って生きること、自分の力が及ぶものと及ばないものを区別すること、そして宇宙全体の秩序(自然、あるいはロゴス)に自分を調和させることを重視する哲学です。皇帝という、誰よりも権力を持ちながら誰よりも孤独で、常に生死や裏切りと隣り合わせの立場にあったからこそ、彼はこの哲学を単なる知識としてではなく、日々自分を保つための実践として必要としたのだと思います。人物像としては、権力を誇示するタイプではなく、むしろ自らの弱さや迷いを率直に書き記す、内省的で謙虚な統治者だったことが、この本の随所からうかがえます。皇帝でありながら、これほどまでに自分に厳しく、静かに揺れ続けていた一人の人間の姿が記録として残っていること自体が、この本の大きな価値だと感じています。

今回ご紹介した本はこちらです。

マルクス・アウレリウス『自省録』(岩波文庫)

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ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

俳句のことばと聖書の光を行き来しながら、東と西の精神性を静かに見つめたエッセイです。日本の詩情と聖書の世界が、思いがけないところで響き合う一冊です。これは私の義父の遺作です。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

大阪での両眼の白内障手術を、英国と日本の二拠点生活を送る66歳の視点から、率直に綴った体験記です。レンズ選びから費用、術後の見え方まで、実際に経験したことをそのまま記録しました。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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