ミヒャエル・エンデ『モモ』をきっかけに、66歳の私が実際にやってみていることをまとめました。子どもの本だと思っていたこの本を、名前だけは知りながら何十年も読まずに過ごし、退職して二度目の夏に、ようやくページを開きました。読み終えて感じたのは、これは子どもの本の顔をした、老いの手引きだということでした。時間を盗まれていく話であり、時間を取り戻す話であり、そして「時間とはいのちそのものだ」と最後まで静かに言い続ける話です。
物語の舞台となる、町はずれの円形劇場跡をイメージしました。誰のものでもない静かな場所が、人の時間を取り戻す出発点になる――その感じを、朝の光で表しています。
ひとあし、ひと呼吸、ひと掃き
いちばん心に残ったのは、道路掃除夫ベッポという老人の言葉でした。長すぎる道路を前にすると、人は焦って速く働き、息が切れて動けなくなる。だからそうしてはいけない、と彼は言います。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん(中略)つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。」 ――ミヒャエル・エンデ『モモ』(大島かおり訳・岩波少年文庫)
読んだ日から、朝の予定の書き方を変えました。以前は思いついたことを全部書き出して、消えない行を見ては憂うつになっていました。今は、その日にやることを三つまでに絞り、残りは別の紙に移します。ブログの記事も「今日は一節だけ」と決めて机に向かうようにしました。
不思議なもので、そうすると一日の終わりに疲れが少ないのです。次の一歩、次のひと呼吸、次のひと掃き――この三つだけを見るという掃除夫の作法は、体力が以前ほど続かなくなった今の私に、ちょうどよい速さを教えてくれました。
「ただ聞く」ことを、こちらから差し出す
この物語の主人公が持っているのは、魔法でも力でもなく、ただ聞く力です。彼女が黙って耳を傾けていると、話している人のほうが自分でも思ってもみなかった答えにたどり着いてしまう。助言も励ましもしないのに、相手が変わっていくのです。
「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。(中略)ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。」 ――同書より
なあんだ、そんなこと、と読み流しそうになりますが、自分に当てはめてみるとまるでできていませんでした。これを読んでから、人の話に対して先回りするのをやめる練習を始めました。妻が困りごとを話しはじめたとき、以前の私はすぐに解決策を出そうとしていました。今は、まず最後まで聞く。「それで、どう思ったの」とだけ返して、また黙る。それだけで話が長く続き、私が用意していた助言とはまるで違う結論に、本人がたどり着くことがあります。
日本にいる友人との電話でも同じです。相槌だけの数分間を、無駄だと思わないようにしました。声をかけ合うことだけが支え合いではなく、誰かの言葉をそっと受け取るだけで気持ちが軽くなることもある――この本は、聞くという行為をそういう贈りものとして描いていました。
時間を「節約しない」と決める
物語の悪役は、灰色の男たちです。彼らは人に「時間貯蓄銀行」への預金をすすめ、節約した時間は利子がついて戻ってくると説きます。ところが実際には、節約した時間は二度と戻らない。人びとはいらだち、急ぎ、笑わなくなっていきます。町の広告塔には、こんな標語が電光文字で流れるようになります。
「時間節約こそ幸福への道!」 「きみの生活をゆたかにするために――時間を節約しよう!」 ――同書より
読みながら、これは寓話ではなく現在の記述だと思いました。日本では今、時間対効果を意味する言葉が日常語になり、映画も本も倍速で消費されると聞きます。英国に暮らしていると、その対極のような習慣に毎日出会います。午後のお茶の時間、パブでの中身のない長話、行列に並ぶことへの妙な寛容さ。効率だけを物差しにすれば、どれも「無駄」に分類される時間です。
面白いのは、両国の古い書物がどちらも同じことを言っている点です。日本の『徒然草』は、することもなく硯に向かう「つれづれ」の状態から書き出されます。英国では二十世紀に、哲学者バートランド・ラッセルが『怠惰への讃歌』で、働きすぎこそが人を貧しくすると論じました。東西どちらの文化にも、何もしない時間を擁護する系譜があるのに、経済のほうが先に走ってしまった、ということなのだと思います。
お金についても、同じ発想を持ち込むようにしました。投資は今も続けていますが、目的を「増やすため」から「心配を減らすため」に置き直しました。値動きを見る回数を減らし、四半期に一度だけ確認する。利回りを追いかけて自分の時間を差し出すのは、まさに灰色の男たちに預金しているのと同じだと気づいたからです。心配を減らす最短の道は、金額を増やすことではなく、金額を見る時間を減らすことでした。
まだ町が眠っている時間に、一歩ずつ道を掃いていく老人の仕事をイメージしました。急がずに進んだ道のほうが、結局は遠くまで届くという逆説を込めています。
種のように待つ
物語の後半、時間をつかさどるマイスター・ホラという人物が、待つことについて語る場面があります。
「地球が太陽をひとめぐりするあいだ、土のなかで待っている種のように、待つことだ。」 ――同書より
この一節を読んだとき、庭のアスパラガスのことを思い出しました。植えつけてから二年は、細い芽が出ても収穫せず、そのまま茂らせて根を太らせます。三年目にようやく、指ほどの太さの芽を折り取ることができる。買えば数百円のものを、三年かけて待つのです。
正直に言えば、植えた年は「なぜこんな効率の悪いものを」と思っていました。けれど三年目の春に初めて収穫した朝、これは野菜を得たのではなく、待つ力を得たのだという気がしました。年を取ってからの学びや体づくりは、たいていこの型をしています。すぐに結果が出ないものを、途中でやめずに続けられるかどうか。若い頃に足りなかったのは能力ではなく、この待ち方だったのだと、今になって思います。
咲いては沈む花を、見送る
この本でいちばん美しいのは、時間の源に咲く花の場面です。振り子が振れるたびに水面から一輪の花が咲き、これ以上の花はないと思うほどの色と香りを放ち、やがて散って沈んでいく。そして次の花は、決して前の花と同じではありません。
「これこそすべての花のなかの花、唯一無比の奇跡の花です!」 「けれどこの花もまたさかりをすぎ、くらい水面に散ってしずんでゆく……」 ――同書より
読みながら、諸行無常という言葉が浮かびました。学校で習ったときは、なんと寂しい思想だろうと感じたものです。すべては移り変わり、留まるものはない。けれど今読み返すと、同じ言葉がまるで違って響きます。同じ花が二度と咲かないということは、今日の花が今日だけのものだ、ということでもある。若い頃は「同じような一日が続くこと」を退屈に感じていました。今は「同じ一日は二度と来ない」ことのほうが実感としてわかります。つらさが消えるわけではありません。ただ、意味が変わるのです。
同じ年代の方には、こんな変化にも思い当たる方がいるかもしれません。私の場合、いちばんこたえたのは物忘れでした。人の名前や本の題名といった固有名詞が、喉のあたりまで来て出てこない。数年前は、その度に自分が削られていくような気がしていました。
今は、思い出せないことを前提に暮らしています。気づいたことはその場でメモにし、月に一度、それを記事の形に整えます。頭のなかの記憶は薄れていきますが、書いたものは薄れません。記憶が弱くなっても、書くことで人生を編集し続けることはできる――このブログを続けている理由の半分は、たぶんそこにあります。時間の花は散っても、散ったという記録は残るのです。
時間の源で、咲いては沈んでいく花の場面をイメージしました。同じ花は二度と咲きません。だからこそ、目の前の一輪をきちんと見ようという気持ちを描いています。
心で、時間をはかる
第二部の冒頭に、この本の芯にあたる一節が置かれています。
「時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。(中略)なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。」 「そして人のいのちは心を住みかとしているからです。」 ――同書より
同じ一時間が、退屈なときは果てしなく長く、夢中なときは一瞬で過ぎる。だから時計の数字は、時間の本当の姿を教えてはくれない。この考え方を体で試す方法として、私はお灸を使っています。台座のついた小さなものを膝の下あたりに一つ据えて、じんわり温かくなり、やがて熱が引いていくまでを待つ。三分ほどでしょうか。時計は見ません。熱の変わり方だけを頼りに、いつ終わったかを知ります。
効能の話をしたいのではありません。この三分間が、私にとって「今」に戻るための入口になっている、ということです。頭のなかは放っておくと、昨日の後悔と来月の心配のあいだを行き来しています。熱という、今ここにしかないものを追いかけている間だけは、そこから離れられる。心で時間をはかるとはこういうことか、と思いながら座っています。
時間は、心にあずけられている
いのちはどこから来て、どこへ行くのか。この本は、そこにも触れています。時間をつかさどる人物は、死について問われて、こう答えます。
「もし人間が死とはなにかを知ったら、こわいとは思わなくなるだろうにね。」 「そして死をおそれないようになれば、生きる時間を人間からぬすむようなことは、だれにもできなくなるはずだ。」 ――同書より
恐れがあるから、人は時間を惜しみ、惜しむからこそ盗まれてしまう。順序が逆なのだ、という指摘に、しばらく本を閉じて考え込みました。
生命とは何かと問われれば、私は今なら「あずけられた時間のことです」と答えると思います。誰にでも、その人のぶんとして配られた時間がある。それは自分のものである間だけ生きていて、他人の物差しに預けた瞬間に死んでしまう。善とは何かという問いにも、ひとつの答えが見えた気がしました。人から時間を奪わないこと、できれば少し返してあげること。話を最後まで聞くというのは、たぶんその最小の形です。
次の一歩だけを見て歩き、黙って人の話を聞き、節約をやめ、種のように待ち、散る花を見送り、熱で時間をはかる。どれも大したことではありませんが、この年齢になってようやく、こういう小さなことのほうが効くのだとわかってきました。豊かな老後とは、持ち物が増えることではなく、自分の時間が自分の手元に戻ってくることなのだろうと思っています。
今回ご紹介した本はこちらです。
本文中で触れた本もあわせて挙げておきます。
バートランド・ラッセル『怠惰への讃歌』(平凡社ライブラリー)
(Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)
ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』
「今」という一瞬に耳を澄ませる姿勢は、俳句の言葉と聖書の光を行き来しながら静けさを見つめ続けた本作にも通じるものがあります。これは私の義父の遺作です。
Amazonで見るミヒャエル・エンデという人、その時代
この物語が書かれた頃、著者はローマ近郊の丘の町に暮らしていました。古い時計塔のある町並みと夕暮れの空で、その時期の空気をイメージしています。
ミヒャエル・エンデは一九二九年、ドイツ南部のガルミッシュ=パルテンキルヒェンに生まれました。父エトガー・エンデは幻想的な画風の画家でしたが、ナチス政権下で「退廃芸術家」と断じられ、公に発表する道を絶たれます。少年時代のエンデは、絵を描くことを許されない父の姿を見ながら育ちました。想像力が国家によって取り上げられうるものだ、という感覚は、この時期に刻まれたものだと思われます。
第二次大戦末期、十六歳で召集令状を受けたエンデは、これに従わず部隊を離れ、反ナチ抵抗運動に加わりました。戦後は演劇の道を志し、俳優、劇評家、放送作家として不安定な時期を過ごします。作家としての名が広まるのは、三十代に入ってからのことでした。
『モモ』が発表されたのは一九七三年、西ドイツが戦後の高度成長を駆け抜け、石油危機によってその前提が揺らぎはじめた年です。効率と成長を疑わずに進んできた社会が、初めて立ち止まった時期に、時間を貯蓄させる銀行という寓話が生まれたことになります。エンデは経済への関心が深く、利子によって際限なく膨らむ貨幣のあり方を批判し、時とともに価値の減る通貨を構想した経済思想家シルビオ・ゲゼルに強く共感していました。灰色の男たちが「利子がつく」と語る場面は、単なる比喩ではなく、彼の経済観そのものだったといえます。
執筆当時、エンデはイタリア・ローマ近郊の町ジェンツァーノに暮らしていました。物語の舞台にある円形劇場跡や石畳の路地の手ざわりは、この土地の生活から来ています。ドイツ的な思弁と、南欧の光や無駄話の豊かさとが同居しているところに、この作品の独特の温度があるのだと思います。
日本との縁も深い作家でした。一九七七年に初来日し、のちに夫人となる翻訳家の佐藤真理子さんとともに各地を訪れています。一九八六年の再訪では、瀬戸内海に面した訳者の実家に滞在し、茶室で茶会に招かれ、能面を手にとって所作をしてみせたと伝えられています。京都では仏教学者を交えて現代仏教をめぐる議論も交わしました。彼は後年、あの滞在がなければ近代化された日本しか見ずに帰っていただろうと語っています。東洋の時間感覚に、彼のほうから歩み寄っていたわけです。
生涯を通じてエンデは、自分が「児童文学作家」と呼ばれることを好みませんでした。子どもにも読めるように書いただけであって、内容を子ども向けに薄めたつもりはない、という立場です。実際『モモ』を六十代で読むと、これは大人が読むべき本を、子どもにも届く言葉で書いたものだとよくわかります。一九九五年、胃がんのため六十五歳で亡くなりました。