ノンフィクション作家・上坂冬子さんの随筆集『老いの周辺』をきっかけに、66歳の私が実際にやってみている実践をまとめました。「秘密」「真実」「円熟」「孤立」「忘れる」「勲章」「死」――そんな短い言葉が見出しに並び、一編一編は数ページほどの短さなのですが、著者自身の暮らしの中で実際に出会った人や出来事から、老いというものの手触りが立ち上ってくる本でした。66歳の私にとって、深くうなずく場面もあれば、まだ実感としては早すぎる場面もありました。

「枯淡の境地」を急がない実践

印象に残ったのは、著者がある集まりで思いがけず名指しをされ、抑えていた感情が爆発して声をあげて笑ってしまい、しかし周囲が静まりかえっていることに気づいた瞬間、すっと元の表情に戻した、という場面です。著者はそこで、自分はまだ「枯淡の境地」――怒りも涙も笑いも手放した、いかにも老成した境地――の仲間入りをするには青すぎるらしい、と半ば自嘲しつつ書いています。けれどもその一方で、以前ほど簡単には怒らず、泣かず、笑わなくなった自分に気づき、「この世に適任とされる役どころなど、そもそも存在しないのだ」と知って、なぜか救われた思いがした、とも記しています。

これを読んで、私も自分の中の感情の波が以前より穏やかになってきたことに、ふと気づく瞬間があることを思い出しました。以前なら一日中引きずっていたような小さな苛立ちも、今は深呼吸ひとつでやり過ごせることが増えています。ただ、それを「悟りに近づいた」と気負って捉えるのではなく、上坂さんのように「まだまだ青い」と笑い飛ばせるくらいの軽さを持っていたいと思うようになりました。老いを急いで完成させようとしない。今の自分の感情の動きを、そのつど正直に眺めることを実践にしています。

「敗北」に学ぶ、自分を大切にする実践

もうひとつ心に残ったのは「敗北」という一編です。著者と年輩の紳士、そしてもう一人の女性の三人で、予約の取りにくい店に食事の約束をしていたところ、直前になってその女性が「用事ができたから代わりの人を探してほしい」と身勝手なキャンセルをしてきた、という話です。著者は腹を立てましたが、紳士のほうは逆に、「自分にはあの身勝手さが欠けていたのが悔やまれる。ああいう我の強さが、むしろ羨ましい」と漏らします。著者は、あのときの紳士の心境が、遅ればせながら自分にも分かるようになった、と続けています。

私にも、人に合わせることを優先して、自分の本当の気持ちを後回しにしてしまう癖があります。この一編を読んでから、気が進まない誘いや、義理だけで参加していた集まりには、無理に調子を合わせず、率直に「今回は遠慮します」と伝えることを意識するようになりました。人間関係の苦しみの多くは、実は自分で自分を後回しにするところから生まれているのだと、あらためて気づかされた実践です。どうしても会わねばならない相手がいるときも、「その場に合わせて自分を消す」のではなく、「短く、丁寧に、必要な分だけ関わる」という距離の取り方を選ぶようにしています。

「俳画」に励まされる、小さな挑戦の実践

著者がデパートで八十五歳の俳画の先生の作品展を知り、いてもたってもいられず足を運んだ一編も好きな箇所です。ユーモラスな好々爺然としたその先生が、生徒の絵にほんの一筆入れるだけで、絵にたちまち生気がみなぎる。テレビでそれを見ていた出不精な妹さんまで、二つ返事で上京してきたというエピソードが添えられています。

年齢を理由に何かを始めることをためらわない、その先生と妹さんの身の軽さに励まされ、私も「気になったら、すぐに小さく動く」ことを実践にしています。習い事を始めるとか、大きな決断である必要はありません。気になった展示に足を運ぶ、興味を持った分野の入門書を一冊買ってみる、といった小さな一歩でよいのだと思うようになりました。「六十代からの就活」というと身構えてしまいますが、こうした小さな好奇心の一つひとつが、実は次の生きがいの入り口になっているのかもしれません。

「賀状」が教えてくれた、生涯をかけた仕事という実践

「賀状」という一編には、韓国の施設で長年、身寄りのない日本人妻たちの世話をしてきた男性が登場します。彼はその施設を退職したあとニューヨークに移住し、亡くなるまでその日々を静かに過ごしていました。彼の娘は韓国と日本で学んだのち、ニューヨークでソーシャルワーカーとして、生活に困窮する人や障害を持つ人たちの医療を支える仕事についています。

このエピソードを読んで、人が生涯をかけて誰かの世話をし、その姿勢が次の世代に形を変えて引き継がれていく、という流れに静かに胸を打たれました。人は何のために生まれてくるのか、命はどこから来てどこへ行くのか、という問いに私自身が明確な答えを持っているわけではありません。けれども、こうした「誰かのために時間を使った人生」の話に触れるたびに、命は個人の中で完結するものではなく、誰かから誰かへと手渡されていくものなのかもしれない、と感じます。実践としては、自分が誰かから受け取ってきたものは何だったかを、たまに書き出してみるようにしています。

中国の「老幹部活動中心」に見る、豊かな老後の選択肢という実践

著者が中国で見学した「老幹部活動中心」という施設の描写も興味深いものでした。女性は五十五歳、男性は六十歳で定年を迎えると、年金を受けながらこの施設で余生を楽しむのだそうです。日本のアスレチッククラブ並みの健康器具がそろい、マージャン室、社交ダンスクラブ、カラオケ室まで備わっている、という様子が紹介されていました。

自分の老後をどうデザインするかというとき、お金の心配だけを単独で考えるのではなく、「体を動かす場所」「人と関わる場所」「小さな楽しみの場所」がセットで用意されている状態を思い描くことが大切なのだと、この一編から教わりました。海外で暮らす私にとって、こうした「居場所」は自動的には与えられません。だからこそ、通える範囲に体を動かせる場所を持つこと、気の合う人と定期的に会う予定を作ること、なにか一つ夢中になれる趣味を持ち続けることを、意識して自分で組み立てるようにしています。お金の心配を減らす一番の近道は、実は「居場所と楽しみをあらかじめ用意しておくこと」なのかもしれません。

「死」を遠ざけない実践

本の終盤に置かれた「死」という一編で、著者は「誰もが承知していて、ふだんは誰もが忘れているのが、死である」と書いています。死ぬ日が分かっていればもっと緊張もするだろうが、近いようにも遠いようにも思えるその日に、かかわりあってはいられないというのが正直な気持ちだろう、と。それでも過ぎ去った日々をふと振り返るとき、自分の年代だと死がそんなに遠い話ではないことに気づいて、あわててしまう、とも綴っています。

66歳の私にとっても、死は完全に他人事ではなくなってきました。だからといって毎日それにおびえて過ごすのではなく、著者のように、たまに正直にその存在を認めてやり過ごす、という距離感がちょうどいいのだと思うようになりました。実践としては、「今日できることを、今日のうちに」という当たり前のことを、以前より少しだけ本気で守るようにしています。先延ばしにしていた手紙を書く、会いたい人には会えるうちに会っておく。特別なことではありませんが、死を遠ざけずに、かといって振り回されもしない、そのくらいの距離感を保つ練習だと思っています。

老いの周辺で見つけた、小さな実践のかたち

『老いの周辺』は、老いを克服する方法を説く本ではありませんでした。むしろ、老いにまつわる小さな出来事――誰かの身勝手さに腹を立てたこと、思いがけず笑ってしまったこと、遠くの施設で見た知らない人の暮らし――を丁寧に拾い集めていくことで、老いというものの輪郭がゆっくり見えてくる本でした。感情を急いで手放そうとせず、自分を後回しにせず、小さな好奇心にはすぐ動き、誰かのために使った時間を大切にし、居場所を自分で用意し、死を遠ざけない。どれも特別なことではありませんが、66歳の今、あらためて意識して続けていきたい実践だと感じています。

今回ご紹介した本はこちらです。

上坂冬子『老いの周辺』

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ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

俳句のことばと聖書の光を行き来しながら、東と西の精神性を静かに見つめたエッセイです。日本の詩情と聖書の世界が、思いがけないところで響き合う一冊です。これは私の義父の遺作です。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

大阪での両眼の白内障手術を、英国と日本の二拠点生活を送る66歳の視点から、率直に綴った体験記です。レンズ選びから費用、術後の見え方まで、実際に経験したことをそのまま記録しました。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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著者について:上坂冬子という人、生きた時代

上坂冬子さんは1930年、愛知県に生まれ、2009年に亡くなったノンフィクション作家です。少女時代から十代にかけて第二次世界大戦を経験した世代にあたり、戦時下の緊張と窮乏、そして敗戦後の混乱と急速な復興の両方を、多感な時期に身をもって通り抜けています。こうした戦中・戦後という激動の時代を生きた経験は、彼女の書き方に独特の率直さとして表れているように感じます。感傷に流されず、きれいごとで物事を包まず、自分の目で見たものだけを信じる、という姿勢です。『老いの周辺』の中でも、「敗北」で他人の身勝手さをむしろ羨ましいと言い切ったり、「勲章」で社会的な名誉を素直には受け取らない距離の取り方をしたり、「死」を遠ざけずに正面から見つめたりする筆致に、そうした時代を生き抜いた人ならではの、飾らない強さが感じられます。

生涯にわたって独身を貫き、晩年まで母親の介護をしながら執筆活動を続けたことでも知られています。誰かに寄りかかることを前提とせず、自分の生活は自分で組み立てるという生き方を実際に選び取ってきた人だからこそ、老いや孤独、人間関係の距離の取り方について書く言葉に、実感のこもった説得力があります。歯に衣着せぬ発言で知られ、時には周囲と意見がぶつかることも厭わなかったと言われていますが、それもまた、自分の頭で考えたことを最後まで自分の言葉で語り切ろうとする姿勢の表れだったのだろうと思います。『老いの周辺』は、そうした一人の書き手が、自分自身の老いをまだ完全には受け入れきれずにいる過程を、正直に書き残した記録でもあります。