古代ローマの哲学者セネカ『人生の短さについて』をきっかけに、66歳の私が実際に始めてみた実践をまとめました。紀元1世紀に書かれた短い随想ですが、「なぜ人は人生が短いと嘆くのか」「本当に時間を無駄にしているのは誰か」という問いは、2000年近く経った今も色褪せません。以前このブログでは、ノーマン・カズンズの本から健康との向き合い方についてのヒントを書いてきましたが、今回手に取ったのは趣の違う一冊でした。66歳になり、残された時間について考える機会が増えた今の私にとって、この本は「健康寿命」という言葉を、単なる身体の問題としてではなく、時間の使い方の問題として捉え直させてくれるものでした。

古代ローマの柱と、砂が落ちていく砂時計、月桂樹の小枝を描いた線画

「人生は短くない」という前提に立ち直す実践のイメージです。

セネカが生きた時代

セネカ(小セネカ)は紀元前後、現在のスペイン南部コルドバに生まれ、紀元65年に亡くなるまでを、ローマ帝国でも特に不安定な時代の中心で過ごした人物です。彼が生きたのは、カリグラ、クラウディウス、そしてネロという、暴君・奇行・粛清が相次いだユリウス・クラウディウス朝の時代でした。哲学者でありながら、クラウディウス帝の治世には政争に巻き込まれて8年間コルシカ島へ流刑になり、その後は宮廷に呼び戻されて若き皇帝ネロの家庭教師、さらには最高権力者に近い政治顧問という立場に就きます。しかし晩年、ネロによる粛清の疑いをかけられ、最終的には自死を命じられて生涯を閉じました。

つまりセネカは、書斎にこもった哲学者ではなく、絶えず権力の近くで、明日の身の安全さえ保証されない環境の中で思想を紡いだ人物です。『人生の短さについて』に流れる「時間はいつ奪われるかわからない」「多忙に生きる者ほど自分の人生を生きていない」という切迫感は、彼自身が流刑や粛清の危険と隣り合わせで暮らした実体験と、決して無縁ではないでしょう。莫大な富を築きながら禁欲を説くなど、生き方と思想の間に矛盾を指摘されることも多い人物ですが、その揺れそのものが、平穏な環境からは生まれ得ない切実さを、この本の随所に与えているように感じます。66歳の私が読んでいて、単なる机上の教訓ではなく、「明日をも知れぬ中で紡がれた言葉」として響いてくるのは、こうした背景があるからかもしれません。

「人生は短くない」という前提に立ち直す実践

セネカは冒頭で、多くの人が「人生は短すぎる」と嘆くが、実際には人生の長さそのものが足りないのではなく、その多くを浪費しているだけだと指摘します。忙しさに追われ、他人の用事に時間を明け渡し、気づけば老いてから初めて「もっと大切に生きればよかった」と後悔する、というのです。

これを読んで、まず私がやめたのは「時間が足りない」という言い方です。何かを先延ばしにするとき、つい「時間がないから」と口にしてしまいますが、今は代わりに「今週は何にその時間を使ったか」を自分に問うようにしています。先週1週間、ざっくりとで良いので何にどれくらい時間を使ったかを紙に書き出してみたところ、想像以上に「特に望んでもいない用事」に時間を明け渡していたことに気づかされました。

「多忙」を疑う実践

セネカは、忙しく立ち回っている人ほど、実は自分の人生を生きていない、と手厳しく書いています。他人の頼み事、他人の評価、他人のスケジュールに振り回されている人は、たとえ長生きしても「生きた」とは言えない、というのです。

現役を退いた今の私には、若い頃のような多忙さはありませんが、それでも「頼まれたから」「誘われたから」で予定を埋めてしまうことがあります。最近は、何か予定を入れる前に「これは自分が本当に望んでいることか、それとも断りにくかっただけか」と一呼吸置いて自分に聞くようにしています。断ることに罪悪感を持たなくなってきたのは、この本のおかげかもしれません。

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「生き方を学ぶのに一生かかる」を受け入れる実践

セネカは、「生きることを学ぶには一生かかり、死ぬことを学ぶにもまた一生かかる」という趣旨のことを書いています。多くの人は年を取ってから慌てて人生を見つめ直そうとするが、それでは遅い、生きる技術は若いうちから、そして一生涯かけて磨いていくものだ、という考え方です。

66歳の私にとって、この言葉は不思議と気持ちを軽くしてくれました。「もう遅い」のではなく「今日からでも学び続けられる」のだと捉え直せたからです。最近は、健康に関する新しい知識や、体との付き合い方について、意識的に本を読んだり人に聞いたりする時間を作るようにしています。「今さら」ではなく「まだ学べる」という姿勢そのものが、気持ちの張りにつながっている気がします。

過去を「資産」として振り返る実践

印象的だったのは、セネカが過去の時間について書いた部分です。過ぎ去った時間は失われたものではなく、賢く生きた人にとっては何度でも思い返せる、いわば安全な「資産」になる、という考え方です。不安な現在や不確かな未来と違い、過去だけは誰にも奪われることがないというのです。

これを読んでから、私は寝る前の数分間、その日あった小さな良いことを一つだけ思い出す時間を作るようになりました。大きな出来事でなくて構いません。庭の花が咲いていた、誰かと少し長く話せた、といった程度のことです。この小さな振り返りを続けていると、日々が「消えていくもの」ではなく、「積み重なっていくもの」に感じられるようになってきました。

自分自身のための時間を持つ実践

本の終盤でセネカは、自分自身のために生きる時間を持つことの大切さを説いています。他人のために忙殺される人生ではなく、自分の考えと向き合い、自分の心を整える時間を、意識的に確保すべきだというのです。

これに倣って、私は週に一度、誰の予定にも合わせない「自分だけの午後」を作るようにしています。特別なことをするわけではなく、静かに本を読んだり、考え事をしたり、ただぼんやりしたりするだけの時間です。この時間があるだけで、他の日々の忙しさへの向き合い方も少し変わってきたように感じています。

午後の低い日差しの中、庭のベンチに開いたまま置かれた本を描いた線画

週に一度、誰にも合わせない「自分だけの午後」をつくる実践のイメージです。

時間を「量」ではなく「質」で捉え直す

セネカを読んで一番強く残ったのは、「長生きすること」と「よく生きること」は別物だという視点です。健康寿命を延ばすということは、単に病気を避け、体を動かし続けることだけではなく、日々の時間の使い方そのものを見直すことでもあるのだと、あらためて気づかされました。時間が足りないと嘆く前に、今ある時間をどう使っているかを見つめ直す。忙しさに流されず、自分のための時間を持つ。66歳の今、こうした小さな実践の積み重ねが、これからの日々を少しずつ豊かにしてくれるのではないかと感じています。

今回ご紹介した本はこちらです。

セネカ『人生の短さについて』

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ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

俳句のことばと聖書の光を行き来しながら、東と西の精神性を静かに見つめたエッセイです。日本の詩情と聖書の世界が、思いがけないところで響き合う一冊です。これは私の義父の遺作です。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

大阪での両眼の白内障手術を、英国と日本の二拠点生活を送る66歳の視点から、率直に綴った体験記です。レンズ選びから費用、術後の見え方まで、実際に経験したことをそのまま記録しました。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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