対応:2026年9月号<第二部>①②

北野幸伯氏との対談を聴きながら、思わず「え、そんな馬鹿な」と声が出た箇所がありました。アメリカという国は、紙に金額を書くだけで、世界中のものを買うことができる。日本がサウジアラビアから原油を買うときでさえ、間にアメリカはいっさい関わっていないのに、なぜか「円」ではなく「ドル」で払わなければならない。

66歳になり、英国と日本のあいだで暮らしながら、老後の資産をどう守るかを日々考えている私にとって、この話は他人事ではありませんでした。私が保有している資産の多くも、直接・間接にドルという通貨の信用の上に乗っています。今回は、9月号の対談から「基軸通貨ドルの歴史」と「ドル体制を脅かす存在」という2つのサブトピックをあえて1本にまとめ、75年にわたるドルの興亡そのものよりも、それが自分の暮らしと資産にとって何を意味するのかを中心に書いてみます。

紙が金になる国 ― 基軸通貨ドルはどう生まれたか

「基軸通貨」を持つとは、平たく言えば「世界通貨の発行権」を持つということです。1944年7月、終戦が見え始めたアメリカのブレトン・ウッズに44カ国が集まり、金1オンス=35ドルに固定し、ドルだけが金と交換できる体制を作りました。日本円が1ドル360円だった、あの時代です。理由は単純で、日本もドイツも敗戦国、フランスは占領下、イギリスは勝っても国力を使い果たし、ソ連は2000万人ともいわれる戦死者を出す中、アメリカ本土だけがほぼ無傷だったからです。

この体制も1971年のニクソン・ショックで金の裏付けを失いますが、1974年のワシントン・リヤド密約で「サウジアラビアは原油をドルでのみ輸出し、アメリカはその安全を保障する」という仕組みが作られ、ドルは原油と結びつくことで基軸通貨であり続けました。

様々な国の紙幣が並べられた様子

様々な国の紙幣が並べられた様子(写真: Jason Leung / Unsplash)。ブレトン・ウッズで生まれた「ドル=世界通貨」という約束から、この物語は始まります。

この非対称性を、通貨に振り回されてきた自分の商売人生から考える

この話を聞いて最初に浮かんだのは、専門家としての分析ではなく、1999年に自分の会社を立ち上げてから、EU・北欧・中東で日本食レストランや食品製造工場を作ってきた、あの頃の記憶でした。当時は国によって通貨がばらばらで、フランスならフラン、ドイツならマルク、中東の湾岸諸国なら現地通貨(多くはドルに固定されていました)。1999年にユーロが導入されてからは欧州側の商売がずいぶん楽になった一方、中東の取引先との商談では、結局どこかでドルの相場を確認する場面が多かったのを覚えています。

あのとき私は、「なぜ中東の商売はいつもドル換算から入るのだろう」と漠然と思っていただけでした。今回、対談でペトロダラー・システムの成り立ちを知って、ようやく点と点がつながった気がします。サウジアラビアが原油をドルでしか売らないと決めた1974年の密約が、半世紀近くたった1999年、私が中東で商売をしていたその現場にまで、静かに、しかし確実に及んでいた。基軸通貨というのは、教科書の中の抽象的な仕組みではなく、現場で値札を計算するたびに顔を出す、きわめて具体的な力なのだと、当時の自分に教えてやりたいくらいです。

ポンドの没落を、今のイギリスで見ている

英国に暮らしながらこの歴史を学ぶと、他人事ではない既視感を覚えます。実は、ドルより前に世界の基軸通貨だったのはイギリスのポンドでした。19世紀から20世紀初頭、大英帝国の経済力を背景に、ポンドは世界の決済通貨として君臨していました。それが二度の世界大戦での疲弊と、大英帝国の解体によって、静かに、しかし確実にドルへと主役の座を譲っていった。

いま私が暮らしているこの国は、かつて基軸通貨を手放した経験を持つ国なのです。日本で育った私が「ドルは絶対」という前提で人生の大半を過ごしてきたのに対し、この国では、古い銀行の建物や、いまも残るコモンウェルス(旧植民地の連合体)という制度そのものが、「かつて世界の通貨だった通貨が、覇権を失うとどうなるか」を静かに物語っています。覇権を失っても国そのものが消えるわけではなく、身の丈に合った形で生き延びていく。それが英国という国の、ある種の凄みでもあると感じます。ドルの将来を悲観するでも楽観するでもなく、「基軸通貨を失った後にも暮らしは続く」という視点を、この国は私に教えてくれている気がします。

挑戦者たちの物語

ペトロダラー・システムへの挑戦は、まずユーロから来ました。1999年に誕生し、2006年には流通紙幣の総額でドルを追い抜いたとされます。イラクのフセイン政権がユーロ決済へ転換を宣言した直後にイラク戦争が始まった、という因果関係については対談内での一つの見立てとして受け止めています。というのも、開戦の公式な理由はアルカイダ支援や大量破壊兵器の保有とされ、いずれも後に事実ではなかったと分かっており、通貨政策と開戦を結びつける説明は、あくまで状況証拠からの読み解きであって、政府が公式に認めた因果関係ではないからです。実際には、イラクの豊富な石油資源そのものへの関心、9.11後の中東における米国の影響力確保、サダム・フセイン政権の排除という地域戦略上の思惑など、複数の理由が絡み合っていたと見るのが一般的で、通貨政策はその中の一つの説にすぎません。

より現在進行形の挑戦者は中国です。2022年のロシアのウクライナ侵攻後、ロシアの原油・天然ガスは中国・インドに人民元建てで流れるようになり、ブラジル・アルゼンチン・イランも人民元決済を広げています。そして2024年6月、いわゆる「ペトロダラー協定」が期限を迎え、サウジアラビアはこれを更新しませんでした。もっとも、「ドルでのみ原油を売る」と明記した正式な文書としての協定はそもそも確認されておらず、この件は当初伝えられたほど劇的な転換ではなかったというのが実情のようです。人民元建てでの原油販売など個別の事例は起きているものの、直近のデータでは世界の原油取引全体の約8割が今なおドル建てで、サウジアラビア自身の原油輸出も、依然としてドルでの決済がデフォルトのまま続いています。とはいえ、50年間「ドル以外はあり得ない」とされてきた関係に、こうした揺らぎそのものが生まれたこと自体は、見過ごせない変化だと感じます。

積み重なる人民元紙幣

積み重なる人民元紙幣(写真: Eric Prouzet / Unsplash)。ドルに挑む通貨は、ユーロから、いま人民元へと移り変わりつつあります。

66歳、2拠点生活の個人投資家として考える資産防衛

この歴史を知ったうえで、自分の資産の置き方を振り返ってみます。私は英国上場のETFや日本個別株、フィリピン株なども自分なりに調べながら、ポンド・円・ドルという複数の通貨圏にまたがる形で資産を持っています。これまでは「分散したほうが安全そうだから」という、やや漠然とした理由でそうしてきました。けれども「ドルは絶対に安全」という前提そのものが、1944年から数えてまだ80年ほどの、比較的新しい約束にすぎないと知ると、この分散には、思っていた以上にしっかりした理由があったのだと、後から裏付けをもらったような気持ちになります。

そしてもう一つ、思わぬ発見がありました。英国と日本を行き来する二拠点生活は、当初は単に「気候のいい季節を追いかける」ための暮らし方のつもりでした。けれども振り返ると、これは結果として、ポンドと円という異なる通貨圏、異なる政治・経済システムに自分の生活基盤そのものを分散させていたことになります。資産だけでなく、暮らしそのものが、ある種の「地政学的な分散投資」になっていた。これは、通貨の歴史を学んで初めて言語化できた気づきです。

もちろん、これは「今すぐドル資産を売るべきだ」という話ではありません。対談の中で北野先生ご自身が、2008年8月に手持ちの株をすべて売却し、その翌月にリーマン・ショックが起きたという経験を語っておられました。専門家であっても危機を正確に予言していたわけではなく、「暴落するとまでは言わないが、いつでも売れる心の準備は持っておいたほうがいい」という言葉に、その教訓が凝縮されていたように思います。この話を聞いて私が学んだのは、「未来を正確に予言する」ことよりも、一つの通貨、一つの資産、一つの市場に依存しすぎない体勢を、平時のうちから整えておくことの大切さでした。今回の対談は、その体勢の対象を「株式市場」から「通貨そのもの」へと一段階広げて考え直す、よいきっかけになりました。

「約束の賞味期限」という視点 ― 自分の人生に重ねて

今回、あらためて感じ入ったのは、ブレトン・ウッズ体制という、当時としては絶対不変に見えた国際的な約束が、たった27年で終わってしまったという事実です。人間が作る制度や約束には、どんなに強固に見えても、賞味期限があります。

考えてみれば、私自身の人生も、そうした「約束の見直し」の連続でした。国立大学の医学部に入りながら中退した20代、日本食ビジネスに飛び込んだ30代、鍼灸漢方クリニックを並行して始めた40代、不動産・株式投資を始めた50代、そして65歳でリタイアして2拠点生活に入った今。どの節目も、その時点までは「正しい」と信じていた計画を、世界や自分自身の状況の変化に合わせて手放し、書き換えてきた結果です。医学部を選んだ18歳の自分に「その計画には賞味期限がある」と言っても、きっと信じなかったでしょう。

ドルという巨大な仕組みでさえ27年で綻びを見せたのですから、個人の資産計画や生き方の計画を、10年、20年に一度、棚卸しして見直すことには、何の不思議もありません。むしろそれこそが、これまで自分が無意識にやってきたことであり、老後においても続けるべき、ごく自然な習慣なのだと、あらためて言葉にできた気がします。

おわりに

紙に「2億円」と書けば家が建つ国の話から始まったこの記事も、結局は「一つの約束に頼りすぎない生き方」という、ごく個人的な結論に落ち着きました。基軸通貨の未来を正確に予測することは、専門家にも難しいことです。けれども、通貨の歴史を知り、自分自身の商売や暮らしの記憶と重ね合わせておくこと自体が、老後の資産と心を守るための、静かな備えになる。そう思っています。

ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

紙に書かれた「約束」の賞味期限について考えたあとで、静かな言葉に立ち返りたくなったときに開いている一冊です。これは私の義父の遺作です。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

大阪とイギリスを行き来する暮らしの中で、通貨と同じく、時間をかけて信頼を積み重ねてきた経験を綴った一冊です。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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出典について

本記事は、ダイレクト出版が運営するサブスクリプション「パワーゲーム」内で配信された対談(有料コンテンツ、司会:北野幸伯さん)を私が購入し、そこから触発されて書いた個人的な感想・考察です。番組内容そのものの転載ではなく、あくまで私自身の視点でまとめたものである点、ご了承ください。今回は9月号第二部の2テーマ「①基軸通貨ドルの歴史」「②ドル体制を脅かす存在」を、あえて1本の記事にまとめています。

北野幸伯(きたの よしのり)さんについて 国際関係アナリスト。ロシア・シベリア国立大学国際関係学部を卒業後、メールマガジン「ロシア政治経済ジャーナル」を主宰し、国際情勢の分析を続けている。 ホームページ:rpejournal.com

『[新版]日本の地政学 (扶桑社BOOKS) 北野 幸伯 (著)』 キンドル版はこちら 単行本はこちら

(Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)

北野さんが講師を務める「パワーゲーム」講座の詳細はこちらです。

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