イギリスに暮らして三十数年になりますが、この一年ほど、肌で感じる社会の空気が明らかに変わってきました。若い世代の生きづらさ、住まいをめぐる分断、そして「結局は本人の頑張り次第だ」という声の再燃――。これは、遠い異国のニュースではなく、私自身がいま暮らしているこの国の話です。

先日、ライター・コラムニストのブレイディみかこさんが、YouTube番組『PIVOT TALK』で英国社会の現状について語っているのを見ました。

PIVOT TALK「イギリス社会の"いま"」(ブレイディみかこ氏出演回)

あわせて、彼女の著書『それはどこでも起こり得る 壊れゆく世界への抵抗』も読み返しています。今日は、そこで語られていた内容を私なりに咀嚼しながら、「では66歳の私は、この空気の中で、どう豊かな老後を守っていくのか」という、ごく個人的な問いについて書いてみたいと思います。

霧雨のロンドンの街角、人々が道を渡る様子

Photo by Priyank Pathak on Unsplash
今の英国の空気を象徴するような、雨に濡れた街角です。

1. 英国で、いま何が起きているのか

対談で語られていたのは、大きく三つのことでした。

一つ目は、若者たちの困窮です。コロナ禍の厳しい行動制限を多感な時期に経験した世代が、心身の不調を抱えたまま、十分な公的支援を受けられずにいる。なぜなら、長年の財政削減で、英国の国民保健サービス(NHS)がすでに手一杯の状態にあるからです。それなのに、彼らに向けられるのは「今の若者は打たれ弱い」「本人にやる気がないだけだ」という、自己責任論めいた視線だといいます。

この話は、私たち夫婦にとっても他人事ではありません。30歳になる息子がいるのですが、22歳で近くの大学を卒業したあと、なかなか就職先が決まらず、かなり苦労している姿を目の当たりにしました。今は、高校時代の友人が会社に推薦してくれたおかげで、その友人と同じ会社で在宅勤務のIT関係の仕事に就き、4年目を迎えています。息子は運が良かったほうだと思います。なぜなら、同級生の中には、有名大学を卒業した高学歴の若者でさえ就職に苦労し、本当にやりたかった職種を諦めざるを得なかった人がざらにいるからです。ロンドンのある求人では、1名の採用枠に400人が応募したという話も耳にしました。数字を見るまでもなく、それがどれほど狭き門かは想像がつきます。

二つ目は、住まいの問題です。都市部では手頃な家賃の住居が減り続ける一方で、投機目的で買われたまま人が住んでいない物件が放置されている。なぜこんなねじれが起きるかといえば、住宅が「暮らす場所」ではなく「資産を増やす手段」として扱われるようになってしまったからです。公営住宅の建設も長らく止まっており、困窮しても頼れる先がない。

三つ目は、その不満のやり場です。住まいに困っている市民の目に、政府がホテルを借り上げて難民を受け入れる様子が映り、「自分たちは苦しいのに、なぜ」という怒りが噴き出す。本来は住宅政策の不備が原因のはずなのに、怒りの矛先が同じように弱い立場の人へと向いてしまう。ここに、社会の分断が深まっていく構造があるのだと思います。

データで見る、若者の「行き場のなさ」

ここで少し数字も確認しておきます。英国の統計局(ONS)の発表によると、2026年1〜3月期、16〜24歳のうち「教育も就労も職業訓練も受けていない」状態(NEET)にある若者は約101万2千人、割合にして13.5%にのぼり、2013年以来はじめて100万人を超えました。4〜6月期はやや落ち着いて約98万1千人・13.0%となったものの、前年同期と比べればなお増加傾向にあります。

一方、日本で近い概念にあたる「若年無業者」(15〜34歳、家事も通学もしていない非労働力人口)は、2023年平均で約59万人、対象年齢人口の2.4%ほど、42人に1人という水準です。ただし、この二つの数字は定義が異なる点に注意が必要です。英国のNEETは求職中の失業者も含みますが、日本の「若年無業者」は基本的に求職活動をしていない人に限られるため、単純な比較はできません。それでも、英国の若者の行き詰まりの度合いが、日本よりも数字の上ではっきりと深刻化していることは見て取れます。

住まいの面でも、英国では20〜34歳のおよそ3割が親と同居しており、これは過去30年で最も高い水準です20〜24歳に限れば、2021年の国勢調査ですでに半数を超えていました初めて住宅を買う人が頭金を貯めるだけで平均6年近くかかるとされる状況では、これも無理のない数字だと感じます。

今後の見通しについては、政府も2025年に成立した賃貸借制度の改革法(Renters' Rights Act)や、公営・手頃な価格の住宅への大規模投資を打ち出してはいますが、住宅供給と賃金の両方が追いつかない限り、この「巣立ちにくさ」はすぐには解消しないだろうというのが、多くの分析に共通する見立てのようです。

2. 「他人事ではない」と感じる理由 ― 英国と日本のあいだで

こうした話を聞きながら、私が強く感じたのは既視感でした。1990年代から2000年代にかけて、日本でも就職氷河期世代が同じように「自己責任」という言葉で片付けられてきた経緯があります。当時と今の英国とでは背景は違いますが、「構造の問題を、個人の弱さのせいにする」という空気の再燃は、驚くほどよく似ています。

一方で違いもあります。日本では終身雇用や地域のつながりが(弱まったとはいえ)まだ社会の下支えとして残っている場面がありますが、英国では住宅の投機化がここまで進んでいる分、若い世代の「行き場のなさ」がより直接的に生活の危機に直結しているように見えます。二つの国を行き来しながら暮らしていると、同じ「自己責任論」でも、それが乗っかっている土台の違いに気づかされます。

3. では、66歳の私は何ができるのか

対談内容の紹介はここまでにして、ここから先は、私自身の考察です。

窓辺の光の中、書類に向き合う人の後ろ姿

Photo by Michael Afonso on Unsplash
静かに自分の暮らしと向き合う時間のイメージです。

親として、巣立てない子どもとどう向き合うか

子どもがなかなか自立できずにいる姿を見るのは、親としてつらいものです。手を貸したい気持ちと、自分の足で立ってほしいという気持ちが、いつもせめぎ合います。私たち夫婦がここまでで学んだのは、次のようなことです。

一つは、経済的な支援をするなら「期限と目的」を区切ることです。なぜなら、際限のない援助は、結果として子どもが自立するタイミングを遠ざけてしまうことがあるからです。「家賃の一部を1年だけ」「資格取得の費用だけ」というように、支援の輪郭をはっきりさせておくと、子どもにとっても次の一歩を考えるきっかけになります。

二つ目は、情報や人とのつながりを橋渡しすることです。息子が今の仕事に就けたのは、本人の努力に加えて、友人からの紹介という「縁」があったからでした。親として直接できることは多くありませんが、自分自身が地域や仕事を通じて広い人間関係を保っておくことは、巡り巡って子どもの機会にもつながります。寿司教室でさまざまな世代の方と出会っていることも、そうした意味で無駄にならないだろうと感じています。

三つ目は、「自己責任論」を家庭の中に持ち込まないことです。就職氷河期を知る世代だからこそ、私たちはつい「もっと頑張れば」と言いたくなりますが、この記事で見てきた通り、若者の困窮の多くは構造的な問題です。親までもが子どもを自己責任で追い詰めてしまえば、最後の居場所さえ失わせてしまいかねません。焦らせず、しかし孤立もさせない距離感を、夫婦で話し合いながら探っているところです。

お金を「投機」ではなく「土台」として持つ

英国の住宅危機を見ていて、あらためて思うのは、資産は「増やすもの」である前に「暮らしを支えるもの」だということです。私自身、2015年から不動産投資・株式投資を続けてきましたが、その目的は値上がり益を追いかけることではなく、年金だけでは心もとない老後の生活費を、自分でもう一段支えることにあります。インフレや政治の混迷で先が読みにくい時代だからこそ、投機的な熱に乗らず、地味でも「取り崩しながら長く保つ」設計を守り続けることが、結果的に一番の防御になると感じています。

孤立しない仕組みを、自分でつくっておく

若者の孤立の背景には、頼れる場所の不在がありました。これは若者だけの話ではなく、私たち高齢世代にも同じことが言えます。リタイアして家にいる時間が増えると、他の人との交流は驚くほど急激に減っていきます。

だからこそ私は、妻と一緒に寿司教室を続けています。3時間という時間をかけてお寿司を教えながら、いろいろな世代の生徒さんたちと出会い、料理の話だけでなく、個人的なことも含めていろいろな対話を交わします。教える立場であっても、実際にはその対話そのものが私たちにとって大きな刺激になっていて、視野を広げてくれている実感があります。なぜなら、孤立というのは「独りでいる時間の長さ」ではなく、「困ったときに頼れる相手がいるかどうか」の問題だからです。

温室のある菜園で人々が作業する様子

Photo by Haberdoedas on Unsplash
地に足のついたつながりのイメージです。

「自己責任」で自分を追い詰めない

最後に、これがいちばん大事だと思うのですが、体力や記憶力が衰えていくことを、自分自身への「自己責任」で語らないようにする、ということです。加齢による衰えは、若者が置かれた困窮と同じく、多くの場合、本人の努力不足ではなく構造(社会保障や医療制度、経済環境)の問題でもあります。だからこそ私は、こうしてブログに記録を残すことを続けています。弱っていく自分を隠さず、しかしそこで終わらせず、「今日できたこと」を淡々と書き残していく。それ自体が、自己責任論に飲み込まれないための、ささやかな抵抗になるのではないかと思っています。

おわりに

英国で起きていることは、遠い国の出来事ではなく、老いも若きも、どの社会でも起こりうることなのだと思います。だからこそ、豊かな老後というのは、誰かが用意してくれるものではなく、お金の土台、つながりの仕組み、そして自分を追い詰めない考え方を、自分の手で少しずつ整えていくことなのだと、あらためて感じています。

ほかにも、こんな本があります

よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。

『東から西へ ― 俳句のこころ、聖書のひかり ―』(村井弘 著)

世界情勢という大きな話のあとで、静かな言葉に立ち返りたくなったときに開いている一冊です。これは私の義父の遺作です。

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『白内障手術体験記 ― 英国在住者が大阪で自費手術を受ける』(南晴人 著)

こちらも、66歳になってから経験した、暮らしの節目の記録です。

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『英国寿司ビジネス奮闘記(小説版)』全4巻(南晴人 著)

29歳でロンドンへ渡り、寿司ひとすじに35年。見習いから工場長、そして寿司教室までを描いた小説シリーズです。

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これは、下記の本をきっかけに考えたことです。

『それはどこでも起こり得る 壊れゆく世界への抵抗』(ブレイディみかこ・著/文藝春秋)(Kindle版) 単行本はこちら

(Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)