🎧 対談で聴く(二人が語り合う、この記事の感想・解説)
この音声は、本文の内容をもとにGoogle NotebookLM(Gemini)が生成したAI音声解説です。現時点では日本語音声のみのご用意です。二人のキャスターが感想や解説を交えて語り合う対談形式の音声で、本文をそのまま読み上げるものではありません。
E・H・カー『歴史とは何か』(1961年のケンブリッジ大学連続講演をまとめた一冊)をきっかけに、66歳の私が実際にやってみていることを実践記録としてまとめました。
リタイアして暮らしのリズムが変わってから、過去を振り返る時間が明らかに増えました。日記を読み返す、古い写真を整理する、昔の仕事の記録を捨てるかどうか迷う。そういう時間の中で、ふと「私は自分の過去を、どういう資格で扱っているのだろう」と考えるようになりました。
歴史学の古典として知られる本ですが、私が惹かれたのは学問の話としてではありません。ここに書かれているのは要するに「過ぎたことを、今の自分がどう扱うか」という技術の話で、庭の手入れと読書で一日が過ぎていく私にとって、思いのほか実用的な本でした。
過去の記録と今日の自分は、一方通行ではなく行き来する関係にある——本書の中心にある考え方を、二冊のノートのあいだを渡る光として描きました。書かれた言葉の意味は、読み返すたびに少しずつ変わっていきます。
呼びかけた事実だけが語る、という実践
この本の最初の講演で、カーは「事実がひとりでに歴史をつくる」という素朴な考え方を丁寧に解体していきます。無数の出来事のうち、どれを歴史の舞台に上げるかを決めているのは、事実の側ではなく人間の側だ、というのです。
事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。 ——同書より
この一文を読んだとき、私は自分の物忘れのことを思い出しました。人の名前や作品の題名といった固有名詞が、以前のようにすっと出てこなくなって久しいのです。長いあいだ、これを純粋な衰えとしてだけ受け止めていました。
けれども今は、少し違う見方をしています。私の頭の中でも、思い出される事実と、そのまま沈んでいく事実の選別が起きている。その選別を嘆くだけでなく、どれに呼びかけるかを自分で決める側に回ればいい、と考えるようになりました。具体的には、寝る前に三行だけ、その日にあったことを書き留める習慣を始めています。書かれた三行は、後から呼びかけられる資格を得た事実になります。
現在と過去との、尽きることのない対話という実践
第一講演の締めくくりで、カーは自分の答を短い一文にまとめています。過去は保管された荷物ではなく、現在の側から働きかけ続けることで形が変わっていくものだ、という主張です。
歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。 ——同書より
対話である以上、こちらが黙っていれば過去も黙ったままだ、ということになります。
そこで私は、月に一度、自分の古い記録を読み返す日を決めました。数年前のブログ記事でも、渡英した当時の手帳でもかまいません。読み返してみると、書いた時に重要だと思っていた出来事が今はどうでもよく見え、当時は一行で済ませた場面が妙に胸に残る、ということが何度も起こります。
若い頃の私は、過去を「もう決まってしまったもの」として扱っていました。失敗は失敗のまま、遠回りは遠回りのまま、動かせない事実として背負うものだと思っていたのです。今は、そうは思いません。医学部を中退したことも、当時の私が下した意味づけと、今の私が読み取る意味づけはまるで違います。過去が変わったのではなく、対話の相手である私の側が変わったからです。歳を重ねる実感の中で、これはいちばん静かで、いちばん確かな救いでした。つらかった時期がなかったことにはなりませんが、その意味を書き換える権利だけは、こちらに残されている。
唯一の絶対者は変化である、という実践
第五講演では、歴史における「絶対的な基準」という考え方が検討されます。カーは、動かない基準を過去にも現在にも置くことはできない、と述べたうえで、ある歴史家の言葉を引きます。
「歴史家にとっては」……「唯一の絶対者は変化である。」 ——同書より
固定した一点ではなく、変化そのものを前提に置く。この構えは、身体の記録の付き合い方にそのまま応用できました。
このところ、瓶の蓋が固くて開けにくいという些細な場面で、握力の衰えに気づくことが増えました。以前なら、開かなかった一回に落ち込んで終わりだったと思います。今は、その日の一回を「その日の数値」として記録するだけにして、判断は数か月分の並びを見てから下すことにしています。一点を見て一喜一憂するのをやめると、驚くほど気持ちが軽くなりました。
仏教では諸行無常と言いますが、これは無常を嘆く言葉というより、変化を計算に入れて生きよという実務的な助言なのだと、この歳になって思うようになりました。私は毎朝、膝下の足三里にお灸をひとつ据えています。不調が出てから慌てるのではなく、変わり続ける身体に毎日ひと言だけ声をかけておく。そんな感覚の習慣です。
同じ川でありながら、水はひとときも同じではない——変化そのものを唯一の基準に置くという本書の見方を、色を変えながら流れ続ける一本の川として表しました。日々の測定値も、一点ではなく流れとして眺めています。
社会から離れた個人はいない、という実践
第二講演の主題は、個人と社会の関係です。カーはロビンソン・クルーソーを例に挙げながら、社会から切り離された個人という設定そのものが成り立たないことを説明します。
よく言われますように、社会から離れた個人が言語も精神も持たないというのは本当です。 ——同書より
自分ひとりで考えているつもりの内容が、実は受け取ったものの組み合わせでできている。そう認めることは、私にとってはむしろ気楽な話でした。
英国と日本を行き来する暮らしを始めてから、この感覚は一段はっきりしました。英国の町を歩くと、建物の壁に青い銘板が掛かっていて、ここに誰が何年から何年まで住んでいたかが記されています。教会には何世紀分もの洗礼と埋葬の記録簿が残っています。歴史を石と紙で固定して残す文化です。一方、日本の伊勢神宮は二十年ごとに社殿を建て替えます。建物そのものは新しくなり、受け継がれるのは技術と作法のほうです。どちらが優れているという話ではなく、残し方の思想がまるで違う。この対比に気づけたことは、二つの国に足場を持っていることの、思いがけない収穫でした。
こうしてブログに書いていることも、結局は誰かから受け取ったものの言い直しにすぎません。それでも、反応をもらうことを目的とせず、ただそこに記録があること自体が、誰かにとっての小さな灯りになればと思っています。
獲得されたものが世代から世代へ渡る、という実践
同じ第五講演で、カーは生物としての進化と、人間の社会が積み上げてきた進歩とをはっきり区別します。遺伝によって伝わるものと、学習によって伝わるものは別だ、という指摘です。
歴史というのは、獲得された技術が世代から世代へと伝達されて行くことを通じての進歩ということなのです。 ——同書より
命が続くというのは個体が長生きすることではなく、受け取ったものを次へ渡す動きが途切れないことだ、と読み替えられる一文でした。
庭のラズベリーを見ていると、この理屈が目に見える形で分かります。二年目の枝は実をつけたあと枯れますが、その頃には地下茎からもう新しい芽が上がってきています。株として見れば、去年の枝と今年の芽はまったく別のものです。それでも、実の味も、風に倒れやすい性質も、そのまま引き継がれていく。個体は入れ替わりながら、獲得されたものだけが残っていくのです。
私たちの命はどこから来てどこへ行くのか、という問いに、私は答を持っていません。ただ、渡されたものを受け取って、少し手を入れて、次へ置いておく——その途中に自分がいる、という感覚だけは持てるようになりました。記憶力が落ちても、書いておけば渡せます。だから私は書き続けています。
実をつけた枝は枯れ、その足元からは翌年の芽がすでに伸びている——受け継がれるのは枝そのものではなく、株が獲得した性質のほうです。世代を越えて渡されるものを、庭の一角の光景として描きました。
目的は歩く道の途中から現れる、という実践
進歩をめぐる議論の中で、カーは「あらかじめ決められたゴールへ自動的に向かう」という考え方を退けます。そのうえで、自分が信じている進歩とは何かを、次のように言い直しました。
進歩の信仰は決して自動的な不可避的な過程を信じるという意味ではなく、人間の可能性の漸次的発展を信じるという意味です。 ——同書より
目的は歴史の外から降ってくるのではなく、歩いている道の途中から現れてくる。この順序の話が、私にはお金の心配にそのまま当てはまりました。
現役の頃、私は「老後にはいくら必要か」という外から与えられた数字を、ずっと気にしていました。今は、逆の順序で考えています。実際に暮らしてみて必要だった額を記録し、そこから次の年の見当をつける。目標を先に立てるのをやめただけで、数字に追いかけられる感覚がずいぶん薄れました。
投資の学び方についても、英国と日本の違いを感じます。英国では配当を長く受け取り続けるという発想が個人にも根づいていて、何世代にもわたって同じ銘柄を持ち続けた家の話が珍しくありません。日本では家計に占める預貯金の比率が今も高く、値動きのあるものを長く持つ経験そのものが、世代として蓄積されにくかったように見えます。カーの言う伝達は、お金の扱い方についても確かに起きているのだと思います。
幸せとは何か、善とは何かという問いにも、同じ形の答え方ができそうです。外に置かれた絶対の基準に自分を合わせにいくのではなく、日々の選択を重ねながら、その輪郭を後から確かめていく。私にとっての善は、朝に灸を据え、庭を一回り歩き、三行を書き留める、その積み重ねの中にしか見当たりません。
私が付け加えたい観点——読む人もまた、自分の歴史家である
ここからは本に書かれていることではなく、読み終えた私が付け加えたいと思った観点です。
カーが論じたのは、書く側の歴史家が事実を選び取るという構図でした。けれども、読む側もまったく同じことをしているはずです。この記事を読んでくださっている方も、ここに並んだ言葉のうち、いくつかにだけ呼びかけ、残りは読み流していかれるでしょう。それでいいのだと思います。
だから私は、記事の結論をあまりきっちり書き切らないようにしています。私の実践がそのまま誰かの正解になるとは思っていませんし、なるべきでもありません。材料をそのまま置いておけば、読む人がご自分の文脈で選び直してくださる。そう考えると、書くことの気負いが少し減りました。
それでも、それは動く
本の最後で、カーは自分を悲観論者ではないと断ったうえで、ある科学者の言葉を借りて講演を締めくくります。
「それでも——それは動く。」 ——同書より
歴史も、身体も、暮らしも、こちらの気分に関係なく動き続けています。動いているものに対しては、固定した結論を出すより、対話を続けているほうが理にかなっている。歴史学の古典から私が持ち帰ったのは、結局そういう構えでした。呼びかける事実を選び、過去と話し続け、変化を前提に身体を整え、受け取ったものを次へ渡す。どれも特別な行いではありませんが、静かな一日を組み立てる骨組みとしては、十分に頑丈だと感じています。
今回ご紹介した本はこちらです。
E・H・カー『歴史とは何か』(清水幾太郎訳、岩波新書)
(Amazonのアソシエイトとして、60歳からの冒険は適格販売により収入を得ています。)ほかにも、こんな本があります
よろしければ、こちらもご覧いただけると嬉しいです。
著者について——二つの大戦を見た人が、なぜ楽観論者を名乗ったのか
本書のもとになった連続講演が行なわれたのは、1961年冬から春にかけてのケンブリッジでした。二つの大戦と革命を見てきた著者が、それでも楽観主義者を名乗った場所の空気を、冬の木立と書きかけの原稿として描いています。
エドワード・ハレット・カーは1892年にロンドンで生まれ、1982年に亡くなりました。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで古典学を修めたあと、1916年に外務省に入り、その後およそ二十年を外交官として過ごしています。第一次世界大戦の講和交渉、すなわち1919年のパリ講和会議には、英国代表団の一員として参加しました。学者になる前に、まず「歴史が作られる現場」に立ち会った人だという点は、この本を読むうえで見逃せません。事実が中立に転がっているのではなく、誰かの選択と交渉によって形を与えられていく——その光景を、若い日に間近で見ているのです。
外務省を離れた1936年からは、ウェールズの大学で国際政治学の教授を務めます。1939年に刊行した『危機の二十年』は、両大戦間の国際秩序が理想の言葉によってどれほど覆い隠されていたかを暴いた本で、今日でも国際関係論の古典とされています。第二次世界大戦中はタイムズ紙の副編集長として社説を書き、戦後は生涯の大仕事となる『ソヴィエト・ロシア史』全十四巻に取りかかりました。1955年からはトリニティ・カレッジに戻り、研究者として晩年を過ごしています。
こうして並べてみると、彼が生きた時代の振れ幅の大きさに驚かされます。生まれたのはヴィクトリア朝の終わり、進歩を疑う理由がまだ少なかった時代です。ところが青年期に第一次世界大戦とロシア革命が起こり、壮年期には世界恐慌と第二次世界大戦、そして冷戦と植民地の解体が続きました。同じ世代の知識人の多くが、この経験を経て「進歩などという考えは幻想だった」という結論へ傾いていきます。本書の中でも、カーは同時代の学者たちの悲観論を一人ずつ名指しで検討していきます。
興味深いのは、それでもカーが自分を楽観主義者だと述べていることです。ただし彼の言う楽観は、放っておいても世の中がよくなるという類のものではありません。人間の可能性は、既存の前提を疑って作り替えようとする勇気を通してだけ広がる——そういう、条件つきで骨のある楽観でした。だからこそ本書の結論部で、彼は同時代の慎重論者たちに次々と異議を唱えていきます。
人物としてのカーは、率直に言って論争的でした。ソ連史の記述をめぐっては、体制に寛容すぎるという批判が生前から繰り返されています。既存の枠組みへの挑戦を良しとする姿勢が、時に対象への評価を甘くしたのではないか、という指摘です。本書を読むときも、彼の主張をそのまま受け取るのではなく、彼自身がどんな時代の産物であるかを考えながら読む——それこそが、この本が読者に求めている態度なのだと思います。歴史家を研究してから事実を研究せよ、というのが本書の助言なのですから、その助言はカー自身にも向けられているはずです。
なお、私が読んだのは1962年刊行の清水幾太郎訳ですが、近年は新しい翻訳も出ています。訳文の呼吸はずいぶん違いますので、読み比べてみるのも面白いと思います。